朱莉TeenageRiot

棚,日記,備忘録

追憶:サウスロンドン

リアルタイムで触れてきた、10年代後半~現在まで続くサウスロンドンから端を発したムーヴメントについての記録になります。決してアルバムガイドではなく、あくまで自分が主に聴いていた/辿ったアーティストの変遷であり、とある一視点を提示するための記事でもあります。


 

 

shame - Songs of Praise(2018)

2017~18年にサブスクが一般的に普及し始めて自分の周りでも使い始めている人が増えてきて、自分も重い腰を上げてSpotifyに登録した。最初はCDを取り込んでライブラリに登録する、という手順を踏まずにワンボタンで音源を次々追加されてしまう手軽さに、これではアルバム一枚ごとの記憶が希薄になってしまうのではないか、自分で自分の聞いたものをコントロールできない、良かった作品の名前すらも忘れて思い返すことができなくなるのではないかと少し怖かった。実際この問題は未だにある。それを解決するために、ブログをやっているという側面も少しある。

Spotifyを始めるまで、自分が新譜を聴く機会というのは極端に少なく、リリースからある程度経ってのディスカスを用いたレンタルか、もしくは何ヶ月かに一度行く東京のタワーレコードやユニオンで欲しいものリストを眺めたり、試聴機で聞いて気になったものを買っていた。予算的にも限度があったし、年に数枚とかだったと思う。それがサブスクで、そういったプロセスを経ずとも次々と音源をチェックできるようになった(なってしまった、とも言う)ことで、人生で初めてリアルタイムでシーンを追えるようになった。shameは丁度その時期に出てきた新人アーティストで、現代のポストパンクシーンの旗手、と言った見出しからもJoy DivisionやThe Pop Groupが好きだった自分は興味が湧いた。ブルックリンもインディーポップもポストパンクリバイバルもリアタイできなかった自分が今なら流れに乗るチャンスだとも思った。Idlesも話題になり始めた頃で、ポストパンクが今になってちょっとヒップになっていた雰囲気もあった。

サウスロンドン、というワードをインタビュー等で度々見かけるようになったのもこの時期で、このワードを知ったのもshameのインタビューからだ。Windmillというライブハウスを共通項にした面々が注目され始めていて、そういった地元アーティストをフックアップするためのZINE(So Young Magazineというタイトルで現在日本版もリリースされている)やライブ企画などをしていたのが少しずつ世に出始めた頃、というかその着火点の一つとしてこのアルバムがあったと思う。shameはインタビューでもまだアルバムはリリースしていない同シーンのクールなバンドの仲間を多数上げていた(Goat GirlやSorryやHMLTDもこの時点から名前が出ていた)。サブスクがあれば今後出てくる度にすぐ聞けてしまうのかと、あまりにも自分の世界が一変したことにまだ戸惑いながらも正直わくわくした。Songs of Praiseはそのきっかけとなった作品で、一つの体験として思い入れが深く、サブスクで聴いた後もライナーノーツが読みたくて今はもうない秋葉原のタワーレコードに買いに行った(一緒に当時出たばかりのDavid ByrneのAmerican Utopiaも買った)。

開幕Dust On Trialはクリーントーンともノイジーでもない冷たくて重いギターリフ、ゆっくり立ち上がるよう徐々にラウドになっていくアンサンブル、息が詰まった緊張感のあるM1から、突然風通しよく疾走するM2のConcretはいい具合に吹き抜けを作っていく。鮮烈なMVも良い。半分呟きのようなボーカルスタイルは確かにThe Fallのマーク・E・スミスを想起するし、曲の真っすぐさに対してメロディアスなベースラインが曲を牽引していくのはJoy Division、それこそ初期の激しいライブ音源とshameは重なるし、M6のDonkはKilling Jokeっぽかったり、M7のGold HoleはSiouxsie and The Bansheesを思い出さなくもない。しかし結局これはラベリングに対する後からのこじつけで、当時も自分の中のポストパンク像とは離れたアルバムだなと思っていた。仄暗い雰囲気はあれど、そこと相反するような熱さがあって、ストレートなパンク・アルバムとして聞けてしまう。一音一音の線が太く、音が押し迫ってくる感覚や、そもそも曲がアンセミックすぎる(それ故ブレイクしたのだろう)ことも、自分が思っている=好きだったポストパンクのイメージとは少し離れていた。

10年代後半っていうと様式化されたポストパンク像の議論はもう何周もしていて、それこそ00sにあったポストパンク・リバイバル(もしくはディスコパンクと呼ばれていたもの)と、純粋にポストパンクとされているものは、全くの別物だろうということはかのサイモン・レイノルズも指摘をしていて、00sからずっと続いてきた二分化があったと思う。日本では実際に"アブストラクト・ポストパンク"という別の呼称を掲げて精神性そのものを追い求めるPot-pourriのようなバンドも出てきている。shameは、それこそ直前にブリストルのIdlesが話題になっていて、割と近しい音楽性だったが故に括られたことも要因の一つだと思う。彼らの登場を見ていて、自分は初めて既存の言語の組み合わせで纏めてしまう野暮ったさを認識した。shameはまだメンバーが10代だったということもあり、素直に自分たちの音を鳴らして楽しんでるような雰囲気もあった。そんなことを思いながら、翌年以降次々と出てくるサウスロンドン及びダン・キャリー絡みの"ポストパンク"の見出しを付けられた多数のバンドを追うことが一つの楽しみになっていった。

 

Dry Cleaning - Sweet Princess EP(2019)/Boundary Road Snacks and Drinks EP(2019)

Dry Cleaningはshameらと同じくサウスロンドンを拠点に活動したバンドで、ただ場所が同じだっただけで実際シーンとの関わりはなかったらしいが、当時このEP2枚は周辺作品だと思って聞いた。ぶっきらぼうなボーカル、骨組みのようなスカスカな演奏はshameやblack midiと比較すると確かに"往年のポストパンク"的で、ただかつてのバンドが持っていた歪さ、チープさのようなものはなく、インディーロックの一スタイルとして作られているように聴こえたし、それ故シンプルにポップで親しみやすかった。Goat GirlやSorryにもインディーロックやガレージロック・リバイバルっぽいラフさがあったし、ポストパンクってもっと冷たいイメージがあったので(それこそ当時だとSavagesやViet Cong~Preoccupationsみたいな)、確かに新しい風を感じていた。

 

black midi - Talking Heads(2019)

black midiは今では完全に伝説となってしまったバンド。今ではshameと並びサウスロンドンの代表でWindmillでも演奏していたが、重要なのはダン・キャリーがプロデュースし彼のレーベルであるSpeedy Wunderground(名前がウケる)から音源をリリースしていたこと。元々海外ではライブ動画等を通して既に話題の新人という枠だったらしいけど、自分が彼らの名前を最初に認識したのはTalking Headsという曲名のシングルで、スカスカな演奏とスポークン寄りのボーカル、且つ風通しがよくポップな雰囲気もありDry Cleaningと同じくインディーナイズドされた現行ポストパンクの一つとして聞いていた。そう、まだこの時点では・・・。

 

black midi - Schlagenheim(2019)

2019年の1stフル。なんとThe FallやPop Group、The Smithsでも知られるインディーロックの先駆けにしてポストパンクの総本山Rough Tradeからリリース。膨大な歴史と結びついたのも重要だけど、実際ラフトレの数々の名作に間違いなく連なるべきアルバムだろう。未だに彼らのキャリアの中で最も好きだ。シングルであるTalking Headsからは飛躍しすぎていて正直戸惑ったし、あれを前座に置いたのは巧妙だと思う。M1の953から触ったら一瞬でコマ切れにされそうな鋭利な刃物のようなギターリフの反復と、その裏で縦横無尽に暴れ回るリズム隊、リズムキープではなく野生味全開で躍動するモーガンのフリーキーなドラム(これによってフリージャズ風の混沌が添加される)、それぞれのパートが正面衝突し渾然一体の巨大なノイズと化し、一つの生き物になるような破壊的な展開は今聞いても震える。ポストハードコア、マスロック、プログレ、ジャズのミュータントみたいな側面から類似バンドを挙げることはできるけど、どれも先ほどのshameと同様こじつけでしかなく、本当に新鮮で聞いたことがない音だった。かつてのポストパンクはファンクやダブ・レゲエを取り入れて反復や音響処理という観点から新たな様式を作ったが、black midiはそのスタイルを踏襲しているわけでは決してない(そのスタイルを発展させたものがDFAらポストパンク・リバイバルだろう)。ただ、自分達のやり方でジャンルの境界を溶かして新しいフォーマットを作る=脱構築の音楽として見るのであればこれは確かにポストパンクそのものだった。ポストパンクはロックを否定し、パンクを否定し、そしてポストパンク自体をも否定しメジャーに昇華されていったその何巡目かの先に確かにblack midiがある。

ちなみにスティーヴ・アルビニが当時彼らをフェイバリットに挙げたことも重要。個人的にベストトラックでもあるM4のNear DT,MIはストレートにポストハードコアとして聴けるし、アルビニ一派という意味ではShellacはもちろんUzedaからMy Discoの流れと近いものを感じとれる。M6のOf Schlagenheimはジャズの雰囲気も強いカオスなノイズロックで、これも生音ポストロックの異形の未来の一つだろう。ルーツってわけではないだろうけど、Southern Records発の90 Day Men→Disappears→FACSの変遷や、彼らとレーベルメイトだったSlint +King Crimsonな様相を見せるSweep the Leg Johnnyも思い出さずにはいられない。そもそもこういったポストロック前夜のアーティスト自体もポストパンク現象を下地にした再解釈だったはずだし、FugaziやUnwoundの奥にだってしっかりGang of FourやKilling Joke、Joy Division、Wireが見えてくる。black midiが、というよりサウスロンドン自体が何巡かした後の違う土地、違う若者達によって引き起こされた新しい運動の一つだったと思う。自分がこういったパンク~ポストハードコアの歴史を辿っていた時期に(これは今でも続いているのだが)、リアルタイムでその現行版を直に触れることができたのを嬉しく思う。

 

Fontaines D.C. - Dogrel(2019)

2019年と言うとこちらも外せない。Fontaines D.C.は今ではアイルランドのインディーシーンからヒットチャートまで快進撃を見せ、現代のロックスターとして確固たる地位を築いてしまったけど、当初は新進気鋭ポストパンク軍団の一バンドという認識だった。サウスロンドン出身ではなくともWindmillで多数ライブをしていたり、shameのツアーに帯同したりダン・キャリー(先のblack midiとも繋がる)がプロデュースをしていたこともあって何かと関連付けて語られる。Partisan Recordsと契約していてレーベルメイトのIdlesが彼らを推していたり、Rough Tradeが年間ベストで彼らを1位にしていた事実も重要なトピック。black midiやSquidと比べるとかなり真っ当でラフにパンク〜ポストパンクを鳴らしてるバンドではあるけど、地元の先輩Gilla Bandから受け継いだノイジーなサウンドスケープ、全体的に飄々としてるようで憂いも帯びた仄暗いチャッテンによるボーカリゼーション、半スポークン的ではあるけど結構ちゃんと歌心もあり、アルバムをリリースする度に世界観を深め今ではスタジアム級まで名を轟かせた。初期作品の感想及びディスコグラフィーはこちらで記載。

 

Squid - Bright Green Field(2021)

ブライトンのSquidはFontaines D.C.と同じくサウスロンドンではないが、こちらもダン・キャリーが手掛け、且つWindmillに出演していたということで共に語られることの多いアーティスト。音楽性としてはポストロック+ディスコパンクでクラウトロックの要素も強く割とこの中では反復を軸にしていて踊れる。Foalsも思い出すがもっとフリーキー。そしてWarp Recordsからリリースしているという事実がとてつもなく大きく、Warpはそもそも活動初期にSweet Exorcist(ex.Cabaret Voltaire)がいてポストパンクの派生としても聴くことができたし、レーベルを代表するAutechreやNightmares On Waxは元B-BOYでヒップホップ経由のファンクの遺伝子がある。そしてなにより「ファンクをカバーするパンクバンド」であった!!!(chk chk chk)がWarpにいたことも重ねることができ、その系譜の現代版としてSquidを連ねられるはず。また23年リリースの2ndでジョン・マッケンタイアと組むのもシーンの横断としては直球すぎる。後述のBCNRと同じくポストロックとの交錯にぶち上がった。この辺に関しては別記事で纏めた。

 

Black Country, New Road - For The First Time(2021)

Ninja TuneよりリリースされたBlack Country, New Road(以下BCNR)の1st。彼らもサウスロンドンで活動したバンドで、パンデミックで活動が難しくなったWindmillのためにblack midiと共にBlack Midi, New Roadとしてライブイベントを開いていて、リリース前から話題になっていた。当時はリアルタイムの音楽シーンを追うのとは別に、自らのルーツを掘り下げる過程で90年代のポストロックやその前夜となるポストハードコア、スロウコアに夢中になっていたんだけど(その旅路は当ブログのdiscographyや記録シリーズで追うことができる)、BCNRはまさにその系譜の色があり、M2のAthens, FranceからSpiderlandを青写真としていることは明白だった。マスロックをスロウ再生したようなカッチリした反復→スロウコア展開はまるでGood Morning, CaptainとDon, Amanのいいとこどりに聞こえたし、M3のScience Fairという曲の歌詞には実際にSlintが登場することを後にライナーノーツで知って驚いた。Science Fairは不協和音ノイズを使ってドラマティックに展開してくのはSonic Youthも思い出す。M4のSunglassesは生音ポストロック的なイントロからホーンセクションが合流、ビートはミニマルながら全体ではあまりそう感じさせない、フォークやジャズ、ポストクラシカル的な静謐要素はただのポストロックのリバイバルではない現在の肌感覚を伴っていた。1曲1曲がじっくり聞かせながら最終的には混沌へと到達する確固たる世界観を持った濃密な6曲40分。まさか現在進行形のUKシーンで、SlintやSonic YouthといったUSオルタナの地盤を作ったレジェンド達を思い出すバンドが出てくるとは思ってもみなかった。USインディーは10年代以降ずっとリバイバルしていたし、そういったものも好きだったが、本当に聴きたかったものはこれだったかもしれないと当時思った。ただ、このBCNRのゆったりと情景を作るスロウコア~ポストロック感覚はdeathcrashというバンドの影響によるものだというのを後に知り、彼らにこれ以上の衝撃を受けることになる。

ちなみにBCNRの音楽性に関しては自分はたまたまポストロック~USオルタナ史観から見つめ直してしまっただけで、black midiと並べてKing Crimsonという共通言語で語ることも可能だと思う。そして上記のele-kingのレビューではスプリングスティーンの引用やフリー画像を使ったアルバムジャケット、参照、参照、参照・・・と繰り返されるScience Fairの歌詞といった側面からもまさにインターネット・アーカイブ世代の大量の引用が含まれたアルバムであることがわかる。Science Fairでは自分達をSlintのトリビュートバンドと称することもあり、彼らもそれに自覚的で、まさに冒頭で自分がサブスク導入時に感じたことでもあるのだが、ナチュラルにその感覚を伴って出てきた世代であることを表してるだろう。何を選び取るかに思想が込められるし、今現在サブスクで音を聴きながら記事を書いている自分自身も見つめ直したくなる。そんな彼らがNew Roadを名乗ること、そして何よりWarpと兄弟のようなレーベルでありながらよりヒップホップ=サンプリングに寄ったNinja Tuneからリリースされていることはとても象徴的な事実だろう。

 

deathcrash - Return(2022)

サウスロンドン出身のdeathcrashはBCNRと共にツアーを回り、ライブを見た彼らの音楽性に多大な影響を与えたらしい。音楽性としてはSlintやCodeineといった90年代のスロウコア~ポストロックを鳴らしていて、21年に出しているPeople thought my windows were starsというEPもすごくMogwaiっぽい。先述の通り自分はずっと過去のスロウコア~ポストハードコアを聞いていたため、まさかUKポストパンクシーンの人脈からこんな音楽が出てきたことに衝撃を受けた。ただ、そういった往年のレジェンドと比べてもdeathcrashはスロウコアの空間を捉える静謐なサウンドスケープ+現代のアメリカーナにも通じる暖かいメロディが同居した唯一無二の親しみやすさがあり、最小限でありながら比較的しっかり歌があるスロウなエモとしても聴けた。例えるならMineralやChristie Front Driveからもアクセスできる間口の広さがあった。決してバーストを際立たせる前座の静ではなく、むしろ無音にこそ本質があると思わされてしまう徹底して練られた作品世界、密室を感じさせるプロダクション、自分の内面に深く潜り込んでいく瞑想のような曲の数々、ドラマティックなアルバム構成、どこをとっても完璧で、2022年はダントツでこの作品をリピートした。CodeineやRed House Painters、Bluetile Loungeといった自分の心に深く根を張ったスロウコアレジェンド達と肩を並べるような作品をリアルタイムで聴けたことがすごく嬉しかったし、きっとこの作品が無かったら、今こうやってサウスロンドンを省みることもなかっただろう。自分にとって一つの到達点となった作品。来日も勿論行った。こちらも1st及び2ndの個別記事を書いている。

2023年~24年に自分が制作した「pärk イラスト集/私的スロウコアガイド」の着想にもdeathcrashがあった。過去の音楽を記録するだけでなく、それが今のシーンにどう繋がったか、懸け橋になるものを作れないと意味がないという思いがあったのだが、まさにdeathcrashをハブとすることでそれができるのでは?と思った。そこに焦点を絞り、deathcrashとcarolineやBCNRといったバンドとの関わりや、black midiの存在を根拠にした「ポストロック史観から聞くサウスロンドン」というコラムをZINE内で書いた。本記事と被るものもあるが、ポストパンクではなくUSポストロック史から語るものになっていて、Touch and GoやSouthern Recordsの面々と絡めている。冒頭文とコラムの詳細、及びプレイリスト(選曲で大体内容が想像ついてしまうかと)はこちらの記事で公開中。

 

caroline - caroline(2022)

carolineはサウスロンドンのバンドではないけど、BCNRの人脈が関わっていること、そしてblack midiと同じくRough Tradeから出している事実もあり触れておきたい。何より音楽性がBCNR~deathcrashをSlintとするならこっちはRodan、Rachel's、Tara Jane O’Neilといったルイヴィルの系譜に近くUSポストロックシーンと重ねて聞ける。これによってcarolineも先ほどの「ポストロック史観から聞くサウスロンドン」のキーになっている。carolineはGastr Del Solを思い出す瞬間もあってシカゴ音響派→Tortoise/Sea and Cake→ジョン・マッケンタイア=昨今のSquidといった並列も可能、何よりそういったポストロック周辺をメインで聴いている方にも、これを機にこのシーンに耳を向けてもらえたらいいなと思う気持ちも結構あった。25年に出たcaroline 2は本当に文句無しの超名作。全員におすすめです。

 

shame - Drunk Tank Pink(2021)/Food for Worms(2023)

shameは21年に2ndとなるDrunk Tank Pinkを、23年には3rdとなるFood for Wormsをリリース。2ndは1stと比較すると往年のポストパンクを思い出す作品で、それこそ1stの時点では別ラインに感じられたblack midiやSquidと今回は近い耳で聴けると思う。1stがJoy DivisionやThe Fallだとしたら、2ndはGang of FourやEssential Logic、肉体的な弾力のあるビートと鋭利なフレーズの反復が軸になったグルーヴィーな作品。とくにM3のBorn Is Lutonは不穏で軽快なリフと後半のノイズ展開のコントラストがヘヴィな名曲。終盤のハードなポストパンクで畳みかける流れも圧巻。3rdは個人的には直球でエモを思い出し、歌の叙情も増して円熟味が出てきた。M2のSix-Packはイントロから相当ファンキーで2ndのグルーヴ路線の延長版。M6のOrchidはイントロのアコースティック・ギターが印象的な、どことなくくたびれた情緒もあってめちゃくちゃ染みる。

 

そしてblack midiは21年、22年と続々1stの延長線となる新譜をリリースし、2024年に活動休止。ギタボのジョーディー・グリープはソロへ、ベーシストのキャメロン・ピクトンは現在My New Band Believeで活動中。2022年以降のBCNRはよりホーンセクションやアコースティック編成が主軸に置かれArcade Fireに近くなった。2ndリリース直後に1stでバンドの核だったアイザック・ウッドが脱退したことで音楽性が変化、というかもう名前が同じ別バンドに変わったという方が近く、最新作はまたかなり違ったカラーに。1stが好きすぎるため未だにこちらはしっくり来ず、これまでの音源をライブで演奏することもないと公言しているのが個人的に寂しい。もうScience FairやTrack Xなどの名曲を生で聞くことは叶わないのだろうか・・・。

 

 


 

以上です。2026年9月にshameの活動休止が発表されました。元々それをきっかけに書いたわけではなく、単純に一つの記録として書いている途中にその報を受け、偶然ながら区切りのようなものになってしまった。black midiはバラバラになりBCNRも形を変え、shameは活動休止・・・どうしても時が経ったことを実感してしまいます。こうやって書き連ねる中で自分に与えた影響の大きさと、積み上げたものの重さも改めて実感しました。サウスロンドンは、最初は新しい何かを観測していたはずが、気づいたら昔から自分が聞いてきた音楽が別の場所で、別の世代によって新しい形で鳴らされている、という形に変化していったことが見ていて一番面白かったです。しかも自覚して見ていたわけではなく、こうやって書き連ねる中で気づけた部分もある。自身の変遷も含めて紛れもなく個人史でした。今回は一視点を切り取ったにすぎず、PVAやUgly、Sorryなど言及していない愛聴していたアーティストもまだまだいます。Dry Cleaningが4ADと契約したときRough TradeやNinja Tune、Warpと並んで各バンドをどこが回収していくか、というのを見守る楽しみもありました。人によって見方も違うでしょう。とりあえず自分の主軸はここだったかなぁと。

 

ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984

サイモン・レイノルズによるポストパンク・ジェネレーションを読んだので感想を書きました。あまりにもすごい。文句なしにバイブル。これまで読んできた音楽書籍でもトップクラスに衝撃を受け、自分にとってポストパンクとはなんなのか、何故インディーロックに惹かれたか、そしてポストロックやスロウコアを好む自分の耳がどう作られていったのか、全てに線を引いてくれた本でした。

 


 

 

一応自分もロックファンということになるんだろうけど、でもロックがロックであることをアイデンティティとすることも、ロックの様式美も神聖化も何かを託したり背負わせたりすることも、もしくはそれを免罪符としてしまうような表現が時たまあることも自分は苦手だった。勿論ロックがロックであることに救われた人の気持ちもわかる。自分だってそっち側だが、恩を感じ、しがみついていると同時に居心地の悪さもあった。同じような思いを抱えた人はきっとどの時代にもいただろう。70年代に現れたパンクはたぶんそういう何かを破壊し、誰が何をやってもいいという創造性を生み出したことはよく知られている通りだけど、結局パンク自体もあっという間に一つの新しい様式に固まってしまった。Throbbing Gristleのジェネシス・P・オリッジはパンクにおける「3コード弾ければいい」という有名なキャッチフレーズを否定する。別に1コードだって弾けなくてもいい。ノイズを垂れ流したっていい。なんなら楽器を持たずに突っ立ってるだけでもいい。バンドを結成し、やりたいようにやればいい。好きなように表現すればいい、と。

ポストパンク・ジェネレーションはロックの、そしてパンクのアティチュードに共感しつつもガッツリ乗れない自分みたいな人間にとっては救いとなってくれる本だった。勿論全部が全部そうではないんだけど、少なくとも自分はそう受け取った。ここにScritti Polittiのグリーン・ガートサイドの発言を引用したい。

「僕らはアンチ・ロックだった。ロックはあまりに強く、あまりに確かで、あまりに揺るぎないものに感じた」

「僕たちはそうじゃない音楽を求めていたんだ。なぜなら僕たちは、強くも確かでも揺るぎなくもなかったから」

 

ポストパンク・ジェネレーション 第11章 メスゼティックス~ごちゃ混ぜ知的理論派の周辺:ロンドン最前線 より

死ぬほど共感した。自分がポストパンクに惹かれた理由もここにあった(ただ結果的に、強くも確かでも揺るぎなくもなかった自分達がそう在っていい受け皿としてのロックもあっただろう。そこに救われた人だってたくさんいたことは間違いない)。

ポストパンクってのはそれこそジョン・ライドンのSex Pistols→P.i.L.やハワード・ディヴォードのBuzzcocks→Magazineみたいな、元パンクスがより実験的な方向へ向かった・・・というわかりやすいストーリーだけでは全然説明しきれないもので、先ほどのグリーンやジェネシスのように、「パンクに影響を受けながら、現在のパンクに違和感を抱いた人達」による運動という側面も強かったことがよくわかる。パンクの衝撃で新たに生まれた創造性という大枠では同じかもしれないが、パンクの次を目指すというポジティヴなものではなく、どちらかというとネガティヴな、自分だったらこうやれるっていう思いがポストパンクにある”なんでもあり感"の根源だったんじゃないかなと思ってしまう。

今回は別にレジュメでもないので各章の解説は割愛するけど、感想の前提としてまずどんな本なのか、どういった構成だったかについては触れたい。自分自身なんとなく伝説の本みたいな認識はあったけど読み始めるまでよく分かってなかったし。てわけでまず公式サイトの各章の目次を引用させていただく(これだけでもなんとなくどんな本かわかると思う)。

 【CONTENTS】
パート1:ポストパンク
第1章 パブリック・イメージは俺のもの:ジョン・ライドンとPiL
第2章 すべての外側で:ハワード・デヴォートとヴィック・ゴダード
第3章 制御不能衝動:ペル・ウブとディーヴォのインダストリアル・グロテスク
第4章 芸術と反芸術の狭間で身をよじる:ノー・ウェイヴ・ニューヨーク
第5章 黒人音楽へのアプローチ:ポップ・グループとスリッツ
第6章 英国のインディペンデント・レーベルとDIYムーヴメント
第7章 戦闘のエンターテインメント:ギャング・オブ・フォーとリーズ・シーン
第8章 英米アート・スクール出身バンドの心意気:トーキング・ヘッズとワイアー
第9章 未来に生きる:キャバレー・ヴォルテール、ヒューマン・リーグとシェフィールド・シーン
第10章 一歩踏み出せ:ザ・フォール、ジョイ・ディヴィジョンとマンチェスター・シーン
第11章 メスゼティックス~ごちゃ混ぜ知的理論派の周辺:ロンドン最前線
第12章 さかさま産業革命:スロッビング・グリッスルとデス・ファクトリーからの音楽
第13章 フリーク・シーン~奇人変人大集合:ポストパンク・サンフランシスコの暗黒キャバレーと残酷演劇
第14章 キャリア構築:PiLとポストパンクの絶頂と凋落

パート2:ニュー・ポップ&ニュー・ロック
第15章 ゴースト・ダンス:2トーンとスカの復活
第16章 セックス・ギャング・チルドレン:マルコム・マクラレン。パントマイム・ポップの仕掛け人
第17章 エレクトリック・ドリーム~マシン時代の幕開けとその終わり:シンセ・ポップ登場
第18章 ファン・アンド・フレンジー~爽やかなラヴ・ソングの復権:ポストカードとザ・サウンド・オブ・ヤング・スコットランド
第19章 プレイ・トゥ・ウィン:ニュー・ポップのパイオニアたちのメインストリーム進出
第20章 ミュータント・ディスコ:80年代初期ニューヨーク(およびその果て)の横断交通
第21章 ニュー・ゴールド・ドリーム(81-82-83-84):ニュー・ポップの絶頂と崩落
第22章 暗闇にうごめく者たち:ゴスの誕生とロックへの揺り戻し
第23章 グローリー・ボーイズ:リヴァプール、ニュー・サイケデリア、ビッグ・ミュージック
第24章 ブラスティング・コンセプト:プログレッシヴ・パンク。SSTレコーズからミッション・オブ・バーマまで
第25章 変調のための同調:メインストリームに潜り込んだ第二波インダストリアル組
第26章 20世紀を襲撃:ZTTとフランキーマニア * * * * *

 

ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984 | シンコーミュージック・エンタテイメント | 楽譜[スコア]・音楽書籍・雑誌の出版社 より

全367ページ。長すぎる!B5の大判サイズでページ一杯まで文字がぎっしり詰め込まれていてとてつもない情報量。でもサブタイトル超かっこいいし目次の時点で死ぬほどわくわくした。貪るように読んだ。元々好きなジャンルだから聞いたことあるアーティストばかりってのもあるけど、これを入り口にする人も、エリア毎の物語そのものを楽しめるし、今ならサブスク片手にサントラとして音源を開拓するのもいい。自分だけのプレイリストを作ったり、その作業の中で自分の耳で繋がりを探すのも楽しいと思う。

各章はサイモン・レイノルズが時系列順にアーティストやシーンにフォーカスして語っていく。時系列順ってのはあくまでシーンが始まった年を基準としてるので章を終えるごとに一回時代を遡る。このおかげで時代の理解を深めつつ、一方〇〇では・・・みたいな感じで群像劇っぽく読めるのも良い。後半に行けば行くほど、各章で渡り歩いた歴史を前提とした語彙が増えていくし、加速度的に情報の密度が増し読めば読むほど面白い。長いけど体感一瞬で読み終えられた。

(Joy Divisionが始まりではなく、彼らが出てくる下地から解説してくれるのも良かったし、有名なNew Orderやハシエンダといったラインとは別に、ゴスやインダストリアルへの横の繋がりも見えてくる)

地域性を伴ったエリアのマップを埋めていくのも本書を読む醍醐味だと思う。当時はインターネットがなく、地域内のZINEによる情報交換が主だったし、ZINEの派生からレーベルが誕生したり、レーベルや人脈から見えるわかりやすいラベルの持つ意味が今とは雲泥の差があった。ファッションにだってアイデンティティがあったし、どんな場所でどんな風に生活していたかが表現の源泉になるのは当たり前だ。北部の工業都市だったマンチェスターやシェフィールドはやっぱり工業都市らしい音楽性になっていくし、当時の都市政策で住んでいた町が廃墟になり、コミュニティが解体された風景の先にJoy DivisionやCabaret Voltaireのサウンドがある。両者の交流が深かったことも大切だ。マンチェスターはFactoryを通してNew Orderやハウスを経由したことで後のCreationへの道を敷いたし、シェフィールドは電子音楽・インダストリアルの文化が強いが故に楽器を演奏するのではなく、音を出す装置を作る、という観点は後のWarp Recordsの発想に繋がる。ブリストルは港町で黒人文化が根付いていたことでThe Pop Groupが生まれたし、On-Uと接続されしっかりトリップホップの地盤になっている。ロンドンではRough Tradeがインディーロックを定義し、USから来たメイヨ・トンプソンをブレインとしたことでUSポストロックの導線までもを引いた。またとある章でのWireとTalking Headsをイーノを主役とすることで国をまたいで繋げる手腕も見事だった。とにかく、パンクという共通項だけで同時代に、こんなに違う表現が各地で発生したことは面白すぎると思う。

(Cabaret Voltaireはポストパンク/インダストリアルのオリジネイターにして、マッドチェスター期はハウスと合流、その後はWarpに参加しIDMの先駆けをするなど、電子音楽へと橋渡しをしたことはとてつもなく大きい。これはNew Orderらと共鳴した頃の名曲で、自分も本書で初めて知った)

パンクは要するに逆張りだったし、ポストパンクは逆張りの逆張りだった。ポストパンクとは、パンクがロックから黒人音楽の要素をオミットしてしまったことへの抵抗でもあった。パート2のニューポップ編は80sポップが大きな主軸になるんだけど、逆張りの逆張りを繰り返していった結果、最終的にとびきりポップな音楽を目指してHuman LeagueやScritti Polittiの変遷があったのは目から鱗だった。ニューポップ編はピストルズを仕掛けたマルコム・マクラーレンが絡むのも良い。パート1は第一章と終章がピストルズ~P.i.L.になっていて、各地を回った後にスタートに戻る構成はめちゃくちゃ熱いし、なんとマネージャーのマルコム・マクラーレンが今度はパート2の最重要人物となり、彼の物語が紡がれていく。なんなら最終章のZTT編もトレヴァー・ホーンと組んだマルコム・マクラーレンの話で終わる・・・。デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノも重要だ。というかこの時代にスタジオ技術や電子音楽の技術革新が年々あったことが重要だ。後追いだとスルーしがちな観点だと思うけど、これもポストパンクの"とりあえず触ってみる"部分と相性が良かった。

(自分が初めて衝撃を受けたポストパンクはDeath DiscoことSwan Lakeなのだが、未だにこの衝撃は塗り替えられない)

そしてRough TradeやMuteやFactoryの成り立ちを書いている時点でポストパンク・ジェネレーションっていうのはつまりDIY文化の始まり=後のインディーロック誕生の記録でもある。ジョン・ピールも重要で、当時できたばかりの独自のコミュニティをどう外に広げるかを彼が担っていた。後のUSインディーシーンでの存在の大きさも全部これで説明できる。というかポストパンク=UKってイメージはやっぱりあるけど、USについてもガッツリ触れてくれているのが嬉しかった。とくに第24章ではSSTやBlack Flagがフォーカスされ、このままHomesteadやSub Pop、MatadorからDischord、Touch and Go、Merge、Kill Rock Stars、みたいな感じで自分がずっと追ってきたUSオルタナの大元にダイレクトに行ける導線が引かれて本当に興奮した。またUKと違ってUS独特の黒人音楽との距離感があったこと(もろ黒人音楽を白人が演奏することに抵抗がない80sポップへのコンプレックスも関係していた)、故にハードコアが強かったことも語っていて、サイモン・レイノルズはルーツが同じでもポストパンクには括りづらいということで彼らをプログレッシブ・パンクと言い換える。そして84年、MinutemenとHüsker Düのアルバム同時リリースの際に初めてポストハードコアという単語が登場する。本書ではここで終わってしまうが、ここでハッキリと自分が辿った歴史へと繋がるワードが出てきたわけである。ゾクゾクするね。

(プログレッシブ・パンク編における重要バンドのMission Of Burmaは後にボブ・ウェストンが参加することになるのだが、彼はスティーヴ・アルビニと共にShellacになり、エンジニアとしてもインディー史における最重要人物となる)

 

 


 

以上でした。自分は未だに、好きな音楽のルーツであるはずのパンクロックに苦手意識があるのですが、その延長線上にあるはずのポストハードコア/ポストロックのジャンルを越境するような革新性や、肉体性を持ちながら音響そのものにフォーカスするような姿勢はやっぱり好きでしょうがない。それはダブ・レゲエやファンク及びジャズを取り入れながらブライアン・イーノの方法論でバンド音楽をスタジオで先鋭化させてしまったポストパンクが定義したものであることを、本書はちゃんと説明してくれたと思います。

サイモン・レイノルズと言えばやっぱりポストパンク・ジェネレーションの人というイメージが最も大きいですが、実はポストロックを定義した人(諸説あり)でもある。本書を読むと、後のポストハードコア→ポストロックもIDM~エレクトロニカの台頭も00sのディスコパンクもブルックリンも現代のサウスロンドンも、何度目かのポストパンク脱構築現象の繰り返しだったのだろうと思ってしまう。ただ毎度のこと時代背景、場所や築かれたコミュニティだって全然違う。それを語ることにこそ面白さがあるし、自分は音楽というよりはコミュニティそのものを観測するのが好きで、インディーロックのそういうところに惹かれたんだと思います。自分も自分の言葉で紡いでいきたいし、朱莉TeenageRiotも勝手に続編を違う視点から作るものとしてやっていけたらいいなと思います。長々とありがとうございました。

 

関連記事

構成がまんま一緒で、彼なりの一つの解答、続編だったのだと思います。セットで是非。実はこの本のあとがきで熱烈にポストパンク・ジェネレーションへの思いが語られていたのを見て本書を手に取りました。

まさに"この先"の一つ。

Fontaines D.C. - Dogrel(2019)/A Hero's Death(2020)/Skinty Fia(2022)

Fontaines D.C.のアルバム感想。元々年間のまとめ記事やベストを作る度に上げてきたバンドではありますが、自分が熱狂して聞いていた何作かに関して、当時書いたものを踏まえた上でもう一度書きました。

 


 

 

Fontaines D.C. - Dogrel(2019)

2019年リリースの1st。Fontaines D.C.はアイルランドから英米のヒットチャートを駆け抜けた新進気鋭のロックスターというイメージが完全に定着したと思うけど、自分の中では2019年のRough Tradeの年間ベストで堂々と1位を飾っていたイメージが強い。それがファーストコンタクトだった。サウスロンドンのバンドと共に語られることも多く、shameのイギリス~アイルランドのツアーに帯同していたことや、プロデュースをblack midiやSquidでも知られるダン・キャリーがやっていたこと、そしてダン・キャリー主宰で既にWindmillでライブをしていたり、レーベルメイトであり同じくポストパンクという枠でヒットを飛ばしていたIdlesがフックアップしていた事実からも、あの時期の巨大なポストパンクムーヴメントの一端を担っていたイメージがある。少なくとも自分はそうやって追ったし、サブスクを導入するまで基本的に過去作を辿ることの方が多く、リアタイで海外の音楽を追いかけることが少なったというのもあり、シーンが築かれる様を目の当たりにできたことが嬉しかった。そういった意味でも思い入れの強い作品。

再生して開幕のM1のBigから衝撃を受けた。black midiとかSquidとか同時代のバンドと比べると割と素直なパンク、なんならこっちの方がもっとラフでガレージロックっぽい色も強いのだが、淡々と喋ってるようで意外としっかりメロディ、というか歌心のあるチャッテンのボーカリゼーションはどことなくニヒルでくたびれていて憂を帯びている。これが好きだった。今思えばポストロック~ポストハードコア的な観点で言えばblack midiの方が自分には合いそうだけど、当時は年間ベストにFontaines D.C.の方を挙げていた。音数も多くなく、スカスカという意味ではJoy Divisionや初期The Fallの流れにも乗っかれるとは思うけど、ただFontaines D.C.もサウスロンドンのバンド達と同じくそういった文脈上に位置するバンドとは思えなかった。M9のLiberty BelleとM10のBoys In The Better Landは軽快なビートを押し出したクラブなどで掛かっていても爆沸き間違いなしなアンセム。実際来日のときのセトリにも入るシンガロング枠だったような気がするが、自分はこういった曲と並列してあるM3のToo RealやM6のHurricane Laughterのような薄暗いノイズの膜を纏ったダークなナンバーに強烈に惹かれてしまう。ダブリンということでGilla Band(当時のGirl Band)を強烈にリスペクト、どころか彼らが牽引してくれたおかげで今の自分達があるとまで語っているのだが、Gilla Bandによるインダストリアルとバンドの融合で見せた混沌のサウンドスケープも通じるものを感じれる。この路線は2nd以降により顕著になっていく。

もう一つ触れておきたいのが歌詞、それは元々メンバーが詩や文学を愛好する者たちの集まりでアルバムリリース以前に自主的に詩集を販売していたり、朗読会を開いたりしていたグループだったらしく、Fontaines D.C.のDCはダブリンシティの略でもあり、ダブリンの人間であるということをアイデンティティにした労働階級の切実な言葉が綴られているらしい。ということをライナーノーツは解説しながらも、当時日本版CDに対訳がついてなかったのは少し悲しい。実際ヒットした今現在もソングライティングの評価が非常に高い上、インタビューでも毎度歌詞についての話題が多いバンドでもある。アイルランドという環境からどんな言葉が、どんなニュアンスで投げかけられているのか、自分はダイレクトに受け止めることができないのが少し悔しいが、ただ言葉が先行した音楽というだけあってその世界観に引っ張られたサウンドというのは間違いないのだろうなと思う。自分が、簡単にそこに乗っかっていいのかはわからないが、とにかく言葉ありきであろうその音世界は強烈に居心地が良かった。この感覚は2nd以降もずっと続くことになる。

 

Fontaines D.C. - A Hero's Death(2020)

前作から1年ちょっとでリリースされた2nd。自分は前作にあったToo Realのようなナンバーがお気に入りだと書いたばかりだが、実際そういった暗黒面を拡張したような曲が多く、それこそGilla Bandから受け継がれてきたノイジーなサウンドスケープがいたるところに見えるアルバム。1stはまだParquet Courts的なラインでも聞けた気がするが、今作はもっと張り詰めていてずっと息苦しい。良い意味でラフだった1stの飄々とした雰囲気は今作は正直ない。知名度が上がったというのもあるだろうが、この暗さで今作の方が圧倒的に売れている事実にも、少しびっくりしてしまう。

この息苦しさの要因として、M2のLove Is The Main SongやM3のTelevision Mindにおけるどこかビロビロに伸びたゴムのようなドラムとベースのリズムセクションの音色が挙げられている。所謂ソリッドさ、タイトさがまるでない、若干もたつくような不思議な感触はどことなく居心地が悪く、この執拗に繰り返される機械的な反復は別に踊れるってわけでもない。完璧に無機質だし、無機質なロックは自分は好きなのだが、未だにどう捉えたらいいのかわからないまま、ただ何度も繰り返し聴きたくなってしまう蠱惑的なサウンドが全編を通して続く。前作ではもっと固形でぶつかり合う感じだったツインギターも、今作ではノイズを孕みながら広がりを抑えた音色でリズム隊と同じ虚ろさがある。ダブリンという自分達の住んだ町をテーマにした前作と比べて、今作はずっと内省的な旅行を繰り返してるような作品だと本人達も語っていたが、そういったどん詰まりの心象と合致する生々しい音ではないかと思う。自家中毒のようにも、躁状態にも見える瞬間がある。個人的にM4のA Lucid Dreamで聴ける濁ったサイケデリックな音色がとても好きで、同じようなプレイをM7やM8で聞くことができ、ギターアルバムとしても聴ける作品。正直もうポストパンクでは全くない。当時はblack midiもBCNRもshameもSquidも全然ジャンルを逸脱したものになっていて、その枠組み自体にリスナーも当事者達も食傷的になってたのではないかと思うが、それはM1のI Don't Belongで歌われる「俺は誰の者でもない」が象徴していると思う。というかMVにもなったTelevision Mindというタイトルも示唆的に感じてしまう。

 

Fontaines D.C. - Skinty Fia(2022)

2022年リリースの3rd。ぶっちゃけこれまでで最も好きな作品。ひたすら鈍重。機械的な反復が多かった今までの作風と比べるとかなりドラマティックになったんじゃないだろうか。全体的にペースを落とした曲が多く、グルーヴィーでこのズッシリ構えた感じが自分の性に合う。纏わりつくような空気の重さとか、ジョシュ・オムと組んだArctic MonkeysがHumbugで見せたヘヴィネスのような、また今作と同年に出たDusterの新譜とも近いものを感じて聞いていた。チャッテンの気怠いボーカルの仄暗い雰囲気もただ陰鬱なわけではなく、どことなくメロウでノスタルジックなのも今までのFontaines D.C.のイメージには無かったし、最も歌の存在感が大きいことも触れておきたい。M2のBig Shotは個人的にキャリア屈指のベストソング。地の底から鳴り響くような、隙間の存在感が半端ないドロッとしたギターはスローペースのリズム隊と完璧に噛み合う。M3のHow Cold Love Isも良く、隙間がそのまま空気の圧となって迫りくる。MVも作られたM4のJackie Down The Line、M9のI Love Youも名曲。とびきりダウナーだがじわじわと立ち上がっていく、先述したこれまでになかったドラマティックさが伝わるはず。

Skinty Fiaはコロナ禍のパンデミックによるライブ活動の凍結、嫌が応にも自分の生活と向き合わなきゃいけなくなった環境の変化が音楽性に大きく影響を与えているらしく、ということは1stのヒットから忙しないツアー活動の中で作られた2ndが、あんなに早急で息苦しい作品になったのは必然だったのでは・・・ということに今更気づかされた。Fontaines D.C.は言葉が第一にあるバンドだろうし、今作のタイトルも「鹿の天罰」という意味らしく、彼らの地元アイルランドでは古くから伝わることわざらしい。ジャケットもそれが由来であったり、ロンドンに引っ越してきて異物となった自分達の境遇から改めて地元を振り返り、その土着性や文化がこの憂鬱なサウンドの地盤になっているんだろう。もう戻ってこないものに対して、冷たい諦観と煮え切らない後悔を感じる言葉がずっと連ねられている。自分達の生活とコミュニケーションがそのまま音楽になってるバンドなんだと思う。故に先入観が無くても聴けるし、先入観がありすぎると邪魔をする。音楽オタクが膨大なリファレンスから自分達の新しいサウンドを作る感じのバンドではないんだと思う。音自体も言葉の一端を担っていて、それがたまたま自分にフィットしたんだと思う。最新作があまり聞けないのも、未だに自分がここから出ることができないことに起因している・・・。

 

 


 

以上でした。最新作とは現状4thのことですが、ライブで再現できないことはやらないという縛りを捨ててかなりスケールアップしたアルバムで、それはスタジアムロックに対応した現在の規模も反映してるのでしょう。そしてもうすぐ5thが出るらしいです。Fontaines DCは自分の中でなんか好きだけど理解できないところも多く、なんでか距離がある、という枠のバンドだったんですが、改めて文章を書いたことで自分の聞き方、今までの音楽の追い方とは少し違う側面が強いからかと思いました。自分はあまり、歌詞をガッツリ読み込む方ではないですし、どちらかと言えばサウンド寄りで、音楽オタク的な聞き方をしてしまうことが多いんですよね。それでも、距離を感じつつずっと聞き続けてしまうこと、なんだかんだ来日チケットを取ったり、日本版CDとLP同時に揃えて色んな環境で聞き比べたりしているくらいには愛着があるバンドなんだなってことを、書きながら改めて実感してしまいました。自分が思っているよりちゃんと好きなんだなと・・・。

 

 

関連記事

関連しているかどうかは微妙ですが、SquidもFontaines D.C.と同じくダン・キャリーがプロデュースしたバンドという繋がりがあります。またサウスロンドン出身ではないけどサウスロンドンが巻き起こしたポストパンク旋風で共に語られがちといったリンクもありますね。

こちらも直接的ではないですが、文中にダブリンシーンとの関連性について触れました。実際ダブリンのGilla BandがFontaines D.C.に限らずアイルランドのインディーロックバンド達に与えた衝撃はとんでもなかったらしく、新たなアイデンティティを生むほどだったようです。例えば現在活躍しているMurder Capitalとか、Just Masterd、Silverbacks、Meltsもアイルランド出身。音楽性が同じというわけではないですが、The Murder CapitalはGilla Bandから連なる美学を受け継いでいると思います。その点に現在のニューヨークやかつてのDisappears~FACSの実験性に近しいものを見出していました。またSilverbacksやMeltsはニューヨークやシカゴのインディシーンとも呼応するものがある気がします。

 

 

discography㉑ 3cmtour/dry as dust/toddle/cinema staff

All Our Tomorrowsで見たバンドを聴く、というテーマで何枚かまとめたものを書きました。


 

 

3cmtour - 4seasons12month(2007)

先日cinema staff主宰のAll Our Tomorrowsというライブイベント(O-EASTと隣のduo MUSIC EXCHANGEの2会場を使って丸一日かけて行われたほぼフェス)に参加したことも記憶に新しい3cmtourの全音源まとめたディスコグラフィ。All Our Tomorrowsは主宰のcinema staffは勿論the cabsや9mmといった残響時代の仲間に加えdry as dustにsuiseinoboaz、マスドレといった残響ではないが確実に同時代に特定のサウンドを共に構築した者たちと(マスドレの現体制はQomolangma Tomatoのメンバーがいるという事実も踏まえるともっと熱い)、ここ数年活躍しているyubioriやTexas 3000、Hammer Head Sharkといった若手のオルタナティヴ・ロックとされているもの、そしてトリには最も若いひとひらを据えるという、一時代を象徴しながらしっかり現在に目を向ける偉大なイベントだった。その中で異彩を放っていたアクトが3cmtourで、正直告知を見たときは本当にびっくりして即チケットを購入した。また先日J.Robbinsの来日公演で大変感銘を受けたtoddleをもう一度見たかったというのもある。

3cmtourは2004年に一度解散、その後メンバーはkillieやmirrorといったバンドで活動していたが2025年に復活。残響レコードって確かに90年代にあったポストハードコアやエモ~マスロックと同一線上にあることはわかっても、まだ微妙に壁があるような気がしてしまうが、3cmtourをワンクッション挟むことでその回路を完璧に繋げることができる。当時は知る人ぞ知る・・・というアンダーグラウンドのバンドで徐々に語り継がれ再評価されていったらしい。自分も完全に後追いで、i have a hurtのインタビュー記事から名前を知ったのだが、活動していた頃と当時のバンドやライブの雰囲気は3LAの水谷さんのこちらのnote記事が参考になる。

そして今、サブスクやbandcampが主体になってインターネット・アーカイブ時代にレジェンドとして名を広めていること、国内外でエモ・リバイバルの新しいシーンが始まっていたり、3LAやLFRからも新たなポストハードコアが続々出てきていること、こういった、現在進行形で広がっている樹形図の核となる部分に3cmtourは間違いなくいるだろう(一緒にuri gagarnも並べたい)。残響世代のバンドがリアルタイムで3cmtourを目撃して衝撃を受けたことは想像に難くないし、あの頃の先輩である彼らを呼んだ、そもそも再結成して彼らを呼べたという奇跡みたいな事実もあり、ルーツを辿ると同時に次の世代へのバトンを繋ごうという強い意志を感じてそれだけで感動してしまう。

4seasons12monthはこれまで発表した全音源と、完全インスト作品としての未発表音源スタジオテイク1~6を収録したコンピレーション。このインディーっぽい生々しい音は狂気が滲み出た怪しい音楽性とマッチしていて、個人的には初期のEngine Down、それこそJロビと組んでエモ化する以前のミュータントなポストハードコアとしてずっと孤高の位置にある1stの特異っぷりと重なる。どこに向かっていくのか全く予想がつかない、マスロックという言葉がまだなかった時代だからこそのナチュラルな異形の音を継承していると思う。またM4の桜散る(大名曲!)やM5の缶蹴りにあるハーモニクスの美しいギターフレーズはSlintがSpiderlandで残したものから続くもの、具体的にはJune of 44を思い出さずにはいられず、とくに多ジャンルを取り込んだFour Great Pointsの頃を想起する。もし、彼らが次作のAnahataでPro Tools的な作風には向かわずに、肉体的なバンドのジャムを発展させていたら・・・というイフを妄想したくなる。桜散るの一度静に潜ってからバーストする中盤の展開は90sのエモバンドと並べても違和感ないほど美しく、苛烈なぶつかり合いの中でも侘び寂びの瞬間があることに一貫した美学を感じるし、日本語の曲タイトルもイメージと合致する。M6の線路は続くよはtoeも思い出してしまうが、独自の進化を遂げたtoeと、54-71やDownyといった同時代に近いリファレンスがあったであろうバンドを繋ぐようなイメージも沸いた。M8のどかない女はライブ音源含め2曲収録。本当に心の底から絞り出したような叫び声はエモと言う他ない、1曲を通して不穏な瞬間と風通しのいい美しい瞬間がシームレスに切り替わる・・・のではなく、常に表裏一体で同居してる感覚は唯一無二。先日のライブでも確実にアンセムで、バンドというよりは巨大な化け物と対峙している気持ちになった。また、先ほどちょっとだけ触れたがuri gagarnも思い出さずにはいられず、M3のハトは俺の敵という曲のイントロは一瞬だけDetroitを思い出してしまう。今一番見たい対バンが3cmtourとuri gagarnだし、両バンド今現在また見れる状態にあることが心から嬉しい。そしてこの系譜を受け継ぐ現行バンドは間違いなく1/8計画だな、ということも思わずにはいられない・・・。

3cmtour自体は激情系と括られる音楽ではないと思うが、後のkillieにその色が強いこと、レジェンドとしてthere is a light that never goes outと共に名を連ねられることも多く、現在scramzシーンが盛り上がっていることも後押しになっていると思う。June of 44が来日したとき下北沢SHELTERでの対バンでastheniaというバンドを見たのだが、そこにRodanを激情として解釈する独自ルートを勝手に見出していたのだけど、3cmtour~Killieといったラインも並べて聞ける気がする。参考までに、こちらの記事が丁度3cmtourの今作とthere is a light that never goes outやBOaT(近い時代の近隣作としても重要かと)を並べながら周辺アーティストについても言及してくれているためわかりやすい。よかったら是非。

 

dry as dust - MAWARITSUZUKERU(2008)

北海道函館市で結成されたdry as dustの1st。ジャケのデザインはNUMBER GIRLで知られる三栖一明。こちらもAll Our Tomorrows参加のバンドで当時からthe cabsやcinema staffと対バンしていたらしく、duo MUSIC EXCHANGE側の1発目にして最高のオープニングだった。本当に良いライブで初見でのインパクト込みなら間違いなくベストアクト。当日、1曲目にやったハッピーエンドという曲はシングルでしかリリースされていないのだが(ハッピーエンド - 2024 Remaster ‑ 曲・歌詞:Dry As Dust | Spotify)、こんなに素晴らしい轟音ギターロックはもう出ないんじゃないか?と思わされてしまう大名曲で完全に喰らった。今聞いてもあの一日がフラッシュバックされてしまう・・・。

今作、M1のkawaruiroから空間に滲むようなアルペジオと手数の多い早急なリズム隊、展開が多く確かに同時代の残響の面々もチラつくが、エモリバという形で90sエモが一つの型に集約される以前だからこその自然なリフやキメのニュアンスが入ってるように思う。明確にリファレンスがあるというより、あの頃のエモ~ポストロック的なムードがふんだんに漂っている感じ。そこに日本語に最適化されたメロディーと印象的な言葉がしっかり乗っていて、本当の和製エモってまさにこういうことなんじゃないかと思ってしまう。同時代のbedやClimb the Mind、LOSTAGEと呼応する音だと思うし、同年に出ているOGRE YOU ASSHOLEのアルファベータ vs. ラムダも少しチラつく。M2のloose leafはライブでも見たがアルバムの流れで聴くと大分フリーキー。M3のクモノウエもだが、激しく展開するような部分で絶妙に音を引く、力を抜くような絞り方に、どことなく無理はしないようなラフな雰囲気がある気がする。

 

dry as dust - Good Morning(2010)

2010年の2nd。今作はプロデューサーとしてte'及び残響レコードのボスでもあるkonoが参加、リリース時にcinema staffやPeople In The Boxの面々もコメントを残していて、バンドと残響の結びつきを象徴する一枚。1stと比べると手数より音色に耳が行くアルバムで、M1のafter the whileからドラムはゴツゴツしていてベースもやたらヘヴィ。ギターはクリーントーンにも関わらず全体的にザラついた質感があるのは録音の妙もあるかと思う。前作以上に暖かい歌メロが際立ち、黎明期エモとローファイ系のインディーロックの中間だったBuilt To Spillも思い出してしまう。冒頭のafter the whileやM5のorange juiceにもある"途方もない感じ"は、アルバム全体としてある漠然とした不安を抱えたままあてもなく歩いていくような言葉と連動しているように思うし、音のスケールの広さに北海道の系譜も感じてしまう。先日All Our Tomorrowsでも披露していたが、繰り返す度に同じメロディーと言葉の重みが増していくM6のハローはため息が出るほどの名曲。

 

dry as dust - ノンフィクション(2011)

2011年リリースの3rdにして10年代を代表する国内ギターミュージックの大名盤。プロデュースはex.NUMBER GIRL及びART-SCHOOLの中尾憲太郎。前作のソリッドさはそのままよりシャープに、線を細くしたってよりは濃縮した結果隙間が見えてきた感じで、ボブ・ウェストンのプロデュース作品を聴いてるときと近い生々しさを楽しめる。リズム隊の鳴りやギターの鋭さを聞くだけでも楽しいし、これまで以上に楽器の音と言葉がダイレクトに伝わる作品だと思う。M1のrecycleのイントロのギターではエモのマスっぽさを完全に排除されていて、シンプルにうねりを上げるギターヒーローっぷりに惚れ惚れとしてしまう名イントロ。滑らかに調和する=骨格の一部となるタイプだった前作までと比べると、素直にDinosaur Jr.やSilkwormを思い出す力強いギターワークが吹っ切れて全員を引っ張ってくようでグッとくる。M2の手、掴む、音と音をはバンド随一にミニマルな構造、シンプルな反復故に静→動への躍動感がこれ以上ないくらい詰まった新たなアンセム。M4の意識の空欄はレゲエ調のイントロからその時点で余白が見え、これを生かしてタメと爆発の展開で魅せる新機軸。M5の雨につきも一瞬スロウコアかと思うくらいスカスカなイントロが痺れる。響きというか、とことん空間を意識させてくれるアルバムで、おかげでバンドが一個の塊になる硬質なバーストとの対比が映える。どこを切り取っても名曲しかなく、最初に触れたハッピーエンドもこの後のリリース。LOSTAGEのGuitar(大名盤!)が好きな方もマストでしょう。

 

toddle - I Dedicate D Chord(2005)

toddleはNUMBER GIRLを脱退しブッチャーズに加入した田渕ひさ子が結成、自身がフロントマンに立ち歌いギターを弾くバンド。間違いなくその2バンドで轟音をかき鳴らした本人だとわかる、せーので爆音が炸裂する瞬間がうまいことパッケージされたM1から超良い。吉村秀樹プロデュースでアンサンブルがごちゃっと混ざったジャンクな録音がプラスにしか働いてない、音が増幅されて空間を埋め尽くす気持ちよさが詰まっている。4月にあったJ.Robbins来日公演の前座で見たんだけど、もう素直なギターロック的な音楽ってあんまり自分に刺さらないかもな・・・て思っていた矢先にいや全然そんなことないでじゃんって思い直すくらい快活なバンドサウンドに真っ向からやられた。ナンバガの殺伐っぷりやブッチャーズの雄大さもないかもしれないが、ただ言われるほどユルさ全開ってわけでもなく(MCはマジで激ユル)、このメンバーで音を出せるっていうシンプルな悦びがある故の噛みしめるような叙情とほんの少しの不安がしっかり詰め込まれていると思う。

 

toddle - dawn praise the world(2007)

toddleの2nd。前作に引き続き吉村秀樹がプロデュース。ライブの定番でもあるM2のsack dressは半轟音とも言える2本のギターがお互いのプレイの輪郭をぼかしていくように絡み合う、流動的で美しいアンサンブルは自分がギターバンドを好きな理由が詰まっている気がした。ちょっとUSインディーっぽく、M1のcolonnadeはイントロからPavementやBreedersが一瞬チラつくくらいほろほろに煮崩れたラフなユルさが良い・・・とか思っているとやっぱり巨大スケールの爆音ギターが包み込むように流れてくる。ツインボーカルである二人の声質とほんのり掛かったエフェクトも相まって、声そのものがギターとの境界が曖昧になるくらい完璧に同化、不思議な音色の一体感はtoddle特有のものだと思う。密室っぽかった前作と比べると窓を開けて外に向けて鳴らしているような印象で、結構仄暗いことを歌ってるのにサウンドは前向きで風通しがいいとギャップで泣きそうになってしまう。

20年代以降エモもシューゲイザーも自然とオルタナという言葉に、もっと広く言えばギターロックという言葉に組み込まれて大分経つけど、次作に収録のthornは現行オルタナシーンを代表するバンドであるkurayamisakaの初シングルfarewellの元ネタになっている。その事実だけで、もうNUMBER GIRLやスーパーカーと並ぶくらい現在のオルタナを形作った重要なワンピースになったと思う。それもあり、the shimmerはバンドの代表作とも言っていい作品で、ちょくちょく交流もあるthe pillowsの00年代の作風が好きな人はこちらも是非おすすめしたい。

 

cinema staff - Symmetoronica(2009)

残響時代にリリースされたcinema staffの2枚目のEP。M1のチェンジアップからジャリジャリに硬質なギターとハードなアンサンブルが凄まじく、同路線のM2のBoys Will Be ScrapやM5の第12感といったナンバーはもうエモっていうより完全にポストハードコア。鋭利なリフがアンサンブルにカッチリとハマっていく、DischordやLovitt Records、GravityやEbullitionにあるバンドの呼吸が一体となって未知の方向に向かう展開の妙はNine Days Wonderや3cmtourが繋いだものが受け継がれているなーと今なら思う。ボーカル抜きで聞いたとしてもte'や3nd等のポストロック~ポストハードコアと肩を並べられるくらいにはエッジが効いていて、これを何故か邦ロック~J-POPラインからもギリいけそうなくらい存在感のある歌ものとして成立させた新時代のギターロックを切り開いた名盤。チェンジアップは後にメジャーデビュー後再録しているが、個人的にはクソ硬い音がゴシャっと崩れる瞬間が濃密に保存されたこっちのバージョンが好き。この音だけでカビ臭い部屋の中でセッションしてるような光景が目に浮かぶし、それはSlintや90 Day Menの初期作品を聞いたときと近い光景でもある。次作のBlue,under the imaginationに特典として付属したライブ盤に今作のナンバーが多数収録されていて、Boys Will Be Scrapや第12感の嵐のような演奏の中でピタッとバンド全体で呼吸を合わせるキメや静謐パートを挟む瞬間に完全にやられた。

 

cinema staff - Blue,under the imagination(2010)

2010年リリースの3枚目のミニアルバム。こちらも残響。cinema staffで一番最初に買ったCDが今作だった。MVもあったM2の君になりたいではNUMBER GIRLのBRUTAL NUMBER GIRLやEIGHT BEATERにおけるお馴染みのビートを引用(元を辿るとShellacのAdmiralなのだが)、直後に挿入されるナンバガの音の太さとは対照的な線の細いリフはもっとごちゃっとノイズまみれな質感のあった前作と比べると美しさが際立つ。M1の想像力での縦横無尽に駆け回り捩れるようなリフにも通じるものがあり、ギターワークが死ぬほど気持ちいいアルバム。M5のニトロも間奏があまりにもNUMBER GIRLで笑顔になってしまう。この時期のcinema staffはナンバガのポストハードコア成分を拡張させながら向井秀徳が合流することはなかったエモ~ポストロックをふんだんに取り込み、且つ北海道シーンも踏まえた上でそれを再編する夢のような時期だと思う。M3のTruth under the imaginationはフルアルバムにも繋がっていく風通しの良いナンバー、ではあるけど極端なバーストやスクリーモを外さない部分に美学を感じる。当時特典で過去作(document/Symmetoronica)の曲群が多数収録されたライブ音源がDisc2として付属していて、これが個人的にNUMBER GIRLの札幌OMOIDEやART-SCHOOLのBOYS DON'T CRYと並ぶくらいの名ライブ音源で、ここでのAMK HOLLICやBoys Will Be Scrapの音源以上に荒々しい姿を見て完全にファンになった。

 

cinema staff - 水平線は夜動く(2011)

2011年リリースの4曲入りEP。インストのM1を挟んでM2のdaybrake syndromeからシューゲイザーと呼ぶには憚れるほど浮遊感を廃した"重い"轟音ノイズはブッチャーズを超ソリッドにした感じ。先述のミニアルバム2枚もそうなのだが「硬くて密度のある轟音」が同時期のギターロックバンドの音作りと比べるとダントツで今っぽい。今はエモ/ポストハードコアも血肉になったバンドが多いし、unglatesやoaikoみたいなシーンが盛り上がって一通り合流した今こそ大きなルーツとして聞かれるバンドでないだろうか(というのはもう、the cabsがここまで神格化された現代ではもう当たり前の事実だろうけど・・・)。辻さんがLFRでずっと種を撒き続けてきたことも大きなトピックとして欠かせない(お世話になっております)。M3のGATEはバンド全体でスイッチするメリハリの効いたギターのキメはいつ聞いても痺れる、真っすぐだからこそシンプルな音の厚みと差し引きのコントラストが映える名曲。当時死ぬほど聞いた・・・。このあと同年に残響からリリースされることになる、初のフルアルバムでは直球にエモリバを思い起こす流麗なリフも登場、全体的に風通しがよくなりメジャー以降の導線ともなっていく。

 


 

 

以上でした。All Our Tomorrowsのライブレポを書こうと思っている内に時間が経ってしまい今更振り返る回顧録&再訪シリーズとなります。All Our Tomorrowsが素晴らしいイベントだったことは勿論ですが、個人的に3cmtourやVeltpunch、yubioriといったアーティストがMCで普通に仕事と生活の話をしていたことも印象的で、普段は会社員をやっていてもこんなにバンドを続けてかっこいいライブができるんだっていう、ものすごい無限の勇気をもらったような気がしました。

余談ですが、1/8計画とNOUGATとCONGRATULATIONSがShiner来日の際に対バンします。まずShiner来日という衝撃と同じくらい熱い神のブッキングで(例えばこの面子でShiner抜きの3マンだったとしても確実に行ったでしょう)、LFR発のNOUGATも間違いなく3cmtour~uri gagarnといった系譜と並ぶバンドですし、CONGRATULATIONSに関しても先述したThere Is A Light That Never Goes Out(及び同バンドのメンバーが結成したZ)のメンバーが在籍しています。CodeineやJune of 44、Unwound来日からもう口酸っぱく言ってきてはいますが、本当にもう世代なんて関係ない、今こうやってあの頃の伝説でしかなかったバンド達を見る機会があることは夢のように思えます。めちゃくちゃ楽しみ。

 

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フジロック 戦いの記録

もう1ヵ月経ってしまいましたが、行ってきたので日記です。今後車で行こうと考えてる方には割と参考になるのではないかと思います。ライブレポは後半にあります。


 

 

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2015年くらいからSNSで自分と近い音楽好きの方々と交流するようになるまで、フジロックって立地的にも金銭的にも必要な休日数的にも超敷居が高く自分とは普段関わることがない天上の方々が行っているイベントなのだと、失礼ながら勝手に思い込んでいたんだけど、SNSで自分と近い音楽好きの方々と交流するようになってからはどうやらそういうわけではないらしい・・・ということに気がついた。思ったよりみんなカジュアルに行ってるし、当日様変わりするTLを眺めて素直に羨ましく思えた。2017年に配信が始まる。クーラー効いた部屋でワープしまくってのんびり見るアクトその全てが素晴らしかった。当時は毎年結局知らないアーティストだらけだしな~とか思ってたけど、配信でもロケのマジックが効いてるとしか言いようがない、初見というのもそれはそれで全てが楽しく、本当に行ってもいいかもと思えてくる。しかしシフト制で夏は繁忙期且つ年々連休を取りづらくなる立場になっていってとてもじゃないけど夢物語だ。普通にチケット超高いし。薄給だし。無理して行っても、それに対して精神的なリソースを割きすぎることは想像に難くない。そんな余裕はない。あと場所。遠すぎる。今思えば甘えでしかなかったが、ラインを引いて絶対無理をしないところに自分の性格がよく出ている。自分がフジロックにいる姿を想像できなかった。そういうタイプじゃないという思い込みもあった。

2025年、転職した。以前と比べると信じられないくらい自由に休日をコントロールできる会社に。且つ金銭的な余裕も今たぶん人生で一番ある。それでもフジロックが過酷だという事実に変わりはないし、新生活にまだ慣れないという言い訳もできた。開催一週間前にライブ会場で会った友人とも悩んでるけど行かない寄りですね~みたいな話をした。直後に行く友人から連絡が来た。誘われたってほどでもなかったけど参加の確認で、試しにこれをきっかけに本当に今からいくならどうすればいいんだ?て調べ始めた結果完全に行くモード入ってしまった。誰かに声をかけてもらえることのありがたさを思い知った。

今の仕事、及びそれがきっかけで関りができた人達、2年前から地元(実家)に住んでいること、諸々の理由から県外で一人暮らしでずっと働いていた頃と全く違うコミュニティに関わることがグンと増えて、自分が住んできた町の人達と触れ合う機会がグンと増えて、どんな場所で育ったかがわかるようになって、色んなことを考える。自分はあまりにも、全てに保険を掛け余裕をストックし続ける無難な人生を送ってきた。20歳から10数年社会人をしてきて一回も大がかりな旅行とか大金の買い物をしたことがない。以前の自分より過酷でギリギリな生活をしている人達が、余裕なんてかなぐり捨てて無邪気に人生を謳歌してる姿を見る機会が仕事柄増え、なんかものすごい勇気をもらった気がしてしまい、たまには俺だってそういうことしてもいいんじゃないか・・・って思った瞬間フジロックのチケ代も宿代もアホみたいに高い交通費も全部どうでもよくなった。そもそも、行きたくても行けない環境だった前職から比べたら行けるのに準備の億劫さで悩んでること自体が贅沢すぎるだろうと思うことにした。何故かちょっとあった、行くことに対する謎の罪悪感への言い訳でもあった。

過酷ポイントその1、移動。車で行くの前提のため中間地点で寝ることにして解決。当方千葉県、高速道路の移動と当日朝宿からフジロックに車で向かうことを考えてグーグルマップとにらめっこした結果前橋~高崎といった群馬県がちょうどいいという結論に至る(前橋ウィッチーズの聖地巡礼がしたかったという気持ちもほんの少しだけ、ほんの少しだけある)。通しで行くと5時間掛かるが、前橋から苗場なら1時間半ほどで着く。余裕だし、都内近郊から行く人も参考にできると思う。

過酷ポイントその2、駐車場の確保。なんとチケット2枚からじゃないとオフィシャルの駐車券買えないらしいことに前日で気づいた。来年行ってみたくなった方はご注意を。普通に詰んだ。しかし車フジロック経験者に話を聞いてみたところスキー客向けの周辺の宿がちょこちょこ駐車場を開放しているらしい。前行ったときも意外と空いていたとのこと。念のためAIにフジロック時のみ駐車場を有料開放している(過去にしていた)宿をリストアップしてもらい、今回もやってくれるのか、あわよくば予約できないかと片っ端から電話した。予約は不可だったけど、例年の感じでは割と希望があり、チェックしたところを片っ端から回るルートに変更。最悪全部埋まっていても、越後湯沢か水上あたりまで車で戻ってパーキングに駐車→電車とバスという手もあった(到着は大分遅れるが・・・)。

(周辺のマップ。赤点が宿でこれだけある。Google Mapのストリートビュー散歩で軽く散策してみても確かに停めれそうなスペースがいくらでもあった。)

ここで実行はしなかったが駐車場を最初から諦めてリスクを回避する車の別案を立てたので共有したい(どうでも良い方は飛ばしてください)。色々調べてたら前橋近辺にある高崎駅からは新幹線が出ている。新幹線なら30分で越後湯沢に行けるし、高崎はパーキングも豊富で安いし、新幹線+シャトルバスでも1時間くらいで会場に着くから、前橋から車で1時間かけるのとほぼ変わらないことに気づいた。しかも移動中寝れる。ただヘッドライナーを見た時点で高崎まで帰る電車はなく、結局朝の始発帰りが確定するので、0時以降のフジロックを楽しむ体力があるのか、休める場所はあるのか(そして寒くないか)、もしくは朝まで付き合ってくれる心強い仲間はいるのかで状況が変わる。初参加だし、深夜の会場の雰囲気なんてわかるわけもなく・・・。車で会場まで行けば好きなタイミングで帰ったり荷物置きとして活用できるメリットが大きすぎる、という点から今回は没に。

過酷ポイントその3、宿。本当に行くのを決めたのが7/23のため(アホすぎる)、いくら前橋でもフジロックのチケ代と並ぶかそれ以上の値段のとこしか残ってなく、完全にミスった。一応伊勢崎という近隣の街に泊まれることになったけど、なんとかならなかった時のために快適ネカフェ宿泊拡張セットを車に積んでいてこれがライブ終了後の帰宅前一泊に役立った。具体的には寝袋×2(何故か2つ持っていた、1つを敷布団にすると倍ふかふかで快適だ)、アイマスク、パーカー(エアコン寒すぎ対策だったが実際に重宝した)で、車で行くとこういった荷物に困らないのが良い。最近の快活クラブはシャワー有り個室有り、宿としては異常の安さのためシュラフさえあれば夏はもうこれでよくない?という気持ちになった。

過酷ポイントその4、睡眠。急ピッチで決めたためこれはしょうがない。車での長距離移動が前提となる時点である程度の睡眠を確保しないといけない。思ったより全然余裕がなかった。電車やバスの中で体力を回復させるタイミングは無いし、全てが自分に還ってくる。

 

・7/25 フジロック一日目

フジロック一日目、大久保HOT SHOTにてREVERSED BOOK SHELF(littlegirlhiace / Pot-pourri)。大久保ってことで歩いても行ける近隣の新宿ディスクユニオン及びブックユニオンを会場前に散策してたら弊ZINE二冊とも店頭で置かれていてびっくりした。ありがとうございます。あと新宿インディオルタナ館に私的邦楽オールタイムベストに絶対入るGREAT3のWithout Onionのレコードが置いてあってもっとびっくりした。叫びながら即購入。あと!!!(chk chk chk)の1stのアナログもあって購入。ようやく出たサイモン・レイノルズの未来マニアも購入。

littlegirlhiaceもPot-pourriも昨年10周年記念イベントをそれぞれ開催、コロナ禍以降自分もちょくちょくライブに行っているが、強靭なアンサンブルに裏打ちされた真っすぐにギターロックと切実な歌を聞かせるlittlegirlhiaceと、アブストラクト・ポストパンクを掲げスリーピースのバンド形態+ラップトップというダブとエレクトロニクスが交わったオリジナルの音世界を作り出すPot-pourriのツーマン。littlegirlhiaceにはMISS THE GIRLで、Pot-pourriのマニピュレーター担当の液晶さんこと2lcdのholesで、自分はそれぞれジャケットのイラストを描かせてもらったことがあり縁の深いブッキング。今やってる音楽の出力の仕方は違えどART-SCHOOLという大きなルーツを共有していたり、また両バンドのフロントマンであるふにゃっち氏とsawawo氏はFragile Flowersというバンドで共に演奏した過去があったり、スタートは近いところにいたそれぞれの10年来の軌跡が交わる魔法のような一日だった。各々のファンにもきっと刺激があっただろう。

また、当日はサプライズゲストとして2lcdがO.A.で2曲演奏(初ライブ!!!)。液晶ことryo nagai氏はハンドマイクで、そして途中からギタリストとして元(仮)ズという液晶さんが高校時代にやっていた伝説のバンドでギターを弾いていたのっち氏が登場。二人は幼馴染でもある。興奮が止まらず、この2日間全てのライブアクトでも正直一番泣いた。春に死ね、音源では完全に打ち込みのどこか機械的かつこの淡々としたギターリフが生演奏のしなやかなプレイによって新しく生まれ変わっていて、現在デュオ体制で今後本格的に活動していくのかどうかわからないが、とりあえず9月にPot-pourriと2マンが開催されるらしく楽しみでしょうがない。

終演後、苗場の前泊のためにそのまま群馬へ向かう。千葉南部から新潟まで車で行くと5時間前後だが、このライブを見に東京に来た時点で中間地点まで来てるため、千葉→東京(2時間)、東京→前橋(1時間半)、前橋→苗場(1時間半)と意外と運転時間を分散した効率的なルートになった。ちなみに前日まで仕事だしチケも宿も取ってなかったので普通に準備する時間も全くなく(完全に自業自得)、この日のライブ前に地元のイオンに立ち寄って登山用の防水トレッキングシューズや虫よけスプレーや日焼け止めを購入。RSRに行ったときぬかるみ対策に長靴買ったけど、普通に足疲れて後悔したから今回は結構高い靴を買った。結果あまりにも快適でショートカットに水たまりに突っ込んでっても完全にノーダメージで良い買い物をした。水たまりの中を歩くのは楽しい。

 

・7/26 フジロック二日目

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フジロック二日目(フジロック day 3)、とりあえず無事前橋には到着できてほっとした。昨日の時点で長時間の運転にライブにライブ後も長時間の運転にと全然落ち着けず慣れない宿で睡眠もろくに取れず既にちょっと疲労感があり本当に初参加がこれで大丈夫なのか?という気しかない。当然だけどもう戻れない。当然すぎる。前橋でPot-pourri/2lcdの液晶さんと、同じくPot-pourriのシバサキさんも後で合流、ライブ後に(しかも液晶さんは2ステージ)そのままフジロック行ってる体力ありえないのだが、普通に全員死にそうな顔で入場。過酷だ・・・。

ここまで前橋→苗場までの運転の時点で会場でもこれなら絶対帰りますってレベルの豪雨が山道で降り始めて鬱になった。ちなみに11時到着時点で駐車場争奪戦ほぼ敗北も同然だったので来年から来る方々は是非10時以前の着地をおすすめします。ただ色んなロッヂに声かけて回ってたらなんかほぼ情で停めてくれる場所があり無事着地・・・。感謝しかないです。入場。雨は止んだ。Pot-pourriのシバサキさんは前年Evraakのベーシストとして苗場食堂に出演してるため、ゲートに向かいながら演者として参加する場合のフジロックがどんな感じだったか色々体験談を聞けておもろかった。今回自分は完全にMassive Attack目当てで、配信どこ開いても楽しかったしまぁ適当にふらつくか・・・というありえないノープラン来訪。着くまで(着いてからも)誰が出るか把握してなかった。とりあえずここまでの道のりの長さもあってホワホワとした状態で歩いてたら、遠くから赤いタンバリンが流れてきてベンジー?となり、ガソリンの揺れ方のイントロで吸い寄せられるように中に向かった。SNSで〇〇レッドマーキーでやってほしいとかホワイトステージやってほしいみたいなツイート見かけるたびによくそんなステージ名とか覚えてられんねってずっと思ってたけど、行くとよくわかる。遠すぎるから。続けて見れそうな時間割でも場所によっては諦める場合がある。ある程度ステージ間の移動込みでプランを立てないといけず、体で覚えざるを得ない・・・。

ベンジー、そんなに熱心なファンではなく、ブランキー以降のリリースも追っているわけではないんだけど、声の調子いいなーとかぼんやり思いながら後ろの方で聞いていた。でもサリンジャーのイントロのあのギターリフが流れてきた瞬間本当に全身の血液が沸騰するんじゃないかってくらい興奮し、俺はブランキーが大好きで昔この曲を死ぬほどカラオケで歌っていて、そして今ベンジーを人生で初めて目の前にしているのだという事実に今更気づいた。初めて買った車のカスのオーディオで爆音のLAST DANCEを聞いた記憶が一気に蘇ってきた。思ったより、自分の思い出の大事なところを占めていたバンドだったということを、忘れちゃいけなかったことを咄嗟に思い出すきっかけをくれるのがフェスのいいところだなぁと噛みしめた。自分がフジロックに来たことをはっきりと実感した。素晴らしいライブだった。

飯を食う。フジロックと言えば飯らしいが、腹を満たすためみたいな食事ばっかであんまり記憶がない。写真すら撮っていない・・・。死にそうになっている液晶さんと川でチル。自分も死にそうになっている。ゆっくりGRAPEVINEへ。以前見たのは2019年の中村佳穂との対バンぶり。久々に見れてラッキー♪くらいの感じで歩いてたらEVIL EYEが流れてきて、BABEL BABELは大好きな時期だしこの曲もカラオケで死ぬほど歌ったので色んな記憶を思い出して(また?)泣きそうになった。チョロすぎる。ブランキーもバインも確かに自分を構成してくれたバンドであることを、自分の音楽趣味が細いところで固まってきた今、改めて見る機会なんてなかったバンド達への思いを、自分は忘れてしまってるんだなぁと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そしてねずみ浄土へ。新しい果実は当時よくわからなかった。2023年ファンクにハマり、ヒップホップにハマりネオソウルにハマった今の自分にこの曲は驚くほどすんなり入ってくる。風通しのいいロケも合っている。どうもサンキュー!と連呼するテンションの高いMCを7年ぶりに聞いて笑った。繊細な文学少年みたいな曲書いてたのにMCはこんな感じなんだねって終演後近くの人が話していた。自分も10年前に全く同じことを思った。GRAPEVINEのソウルの部分も今なら心地よく聴ける。ファンクを掘っていたとき、メンフィス・ソウルの土臭いメロウさとずっと距離があったのだが、バインはこの辺と近い感触があったなと今更思ったりした。

休憩。液晶さんは睡眠へ。バイン後にたまたま来ていたWITHOUT SOUNDSのサムさんと歓談をする。サムさんと言えばフジロック大ベテランだし(毎度レポを読ませてもらっていた)色々聞こうと思ってたけど完全に忘れて音楽の話をずっとした。最近定期的に発生するシューゲイザー談義についての見解を交換したり、マイブラの話題でギターポップやOn-Uやマーティン・ハネット以降のダブとしての側面(この中で本当に80sのポストパンクの総決算のような素晴らしい集約点だなと勝手に振り返って思った)、関連してアンドリュー・ウェザオールやネオサイケ、またこの後見るMogwaiから00sポストロックという話題でMogwai系、例えばTWDYやCaspianやExploding In Skyのような後発はポストロックが流行したことで会場のスケールが広がってスタジアムロックやフェス文化に最適化する中で音楽性が変わっていったのではないか?というような話をした。まさにこの1時間後、会場と一体化した巨大すぎる新たな音楽を、これ以上ない密度で身を持って体験することになる。

あとサムさんと言えばフジロック準備ガイドを書いていてかなり参考にさせていただきました、ありがとうございます。

そのままSOFIA ISELLAを見る。初期ビリー・アイリッシュみたいなゴス系SSWなのかと思ったら派手な入場からステージを跳ね回るアグレッシブなパフォーマンス、こういうポップスター然としたライブを見るの自体初めてで音楽性云々を抜きにして視覚的に圧倒されるものがある。ダボダボのシャツを脱ぎ捨てた瞬間エロ衣装になってもっとビビった(マジ?)。Mogwaiを見にグリーンステージへ。化け物だった。グリーンステージはヘッドライナー対応の一番デカいステージで、Mogwaiはその巨大スケールの音楽性そのものが大自然、というか背後の山と一体化していて今まで見てきた音楽を聴くという体験とはちょっと違った現象が起きてたと思う。数多の轟音系ポストロックはこれをやりたかったんだろう。大音量って言っても全然耳が痛い感じではなく、Mogwai系のクリーントーンの轟音は実はあんまり得意じゃなかったけど、ちゃんとカタルシスを生みつつ無限に広がりを作って染み渡らせるような、音源では気づけなかったニュアンスが身体を通して伝わってきて見方が変わった。本当に素晴らしかった。離れれば離れるほど音が大きくなるような錯覚があったし、離れれば離れるほどしっくりきた。

来るぞッ

余談。終わった数日後J-WAVEでMogwaiのスチュワート・ブレイスウェイトのインタビューがあったから仕事の合間を縫って聞いた。音楽以外の仕事は自分にはできない、仕事したくないから音楽をやっている、的なことを言っててグラスゴーだ・・・という気持ちになり(具体的にはJesus And Mary Chainを思い出し)、妙に感動してしまった。ちなみにかつてスチュワートはSlintを自分たちの世代のVelvet Undergroundだと語っていて、この一節は自分の私的スロウコアガイドにも引用させてもらっている。リスペクトを込めてこの日はSlintのシャツを着て行った。ライブからも未だに系譜を感じれたのが良く、1曲目だったYes! I Am a Long Way from Homeは90sの黎明期、ポストロック前夜に彼らが好きだったものの集約点に思う。感慨深かった。Slintがカビ臭い部屋の中でやったことを、広い世界に向けて放ち始めたのがMogwaiだったと思う。

(通りすがりにSlintだ!て言ってくれた方が2名ほどいました。どうして友達になってくれなかったんですか?)

ちょうどこの頃、歴代の嵐と比べればマシだったとは思うけど雨がちょくちょく降ってきて重装甲のカッパを繰り返し着脱した結果内側に水滴が入っちゃって素肌に滴り寒かった。ユニクロで買ったコンパクトに畳める激薄防水アウターがあったのにデカいカッパがあるし大丈夫だと過信して車に置いてきてしまったのを後悔した。正解はこれをカッパのインナーにすることだったと思う。みなさんもお気をつけください。Mogwai見て力尽きて睡眠。ちょっとFrikoを歩きながら遠目で聞いたけど、ぼんやりでもわかるくらい歌メロの存在感があり、本当に良い曲ばっか書くバンドだなって思った。ここで散策しながら何か飯を食った覚えはあるがマジで記憶無し。限界だったのもあり音楽の感想以外ほぼ覚えてないし、ちゃんと音楽体験ははっきり覚えている自分を褒めたい。平沢進は殺人的な爆音で通り過ぎる家族連れが耳を塞ぎながら歩いていて笑った。夢の島記念公園やForsesはニコニコ動画で散々聞いたため素直に感動したんだけど、本当に体力がヤバすぎてこの爆音の中でも20分くらい爆睡した・・・。

ベストアクト、American Football。本当にめちゃくちゃ感動した。お互いの隙間を縫うようなアンサンブルは繊細なパズルを組み立てていくみたいで、徐々に熱を帯びていく展開も涙が出てくる。ポストロックという言葉すら野暮に思える空間芸術で、フレージングそのものがアンビエンスになるようなオリジナルの音楽。こんなの誰も追いつけないよって思った。3rdと4thのナンバーを中心に据えたセトリで自分の中にぼんやりあったアメフト像は完璧に破壊されたし、初期アメフトのようなバンドが今でもたくさん出てきてる中で、本人達はもう遥か遠い地平の先でやりたいことを独自に突き詰めている事実がすごすぎる。途方もないくらい大きなバンドだ。あとアルペジオが所謂エモペジオ的なものではなく、The CureとかThe Lotus EatersのようなUKロックの系譜を感じる音色と浮遊感があり、バンドの違う側面を、というかたぶん最初からあったんだろうけど自分が気づけてなかった部分を垣間見れた気がした。Mogwaiと並んで野外で聞くエモ~ポストロックの素晴らしさを身体を通して実感した。The Appleseed CastやPenfoldといったバンドもいつか野外で見れたらなぁなんてことを思った。

流石に名曲のNever Meant、始まった瞬間周りの人達がスマホで動画を録り始め合唱、終わった瞬間半分くらい帰っていってこれまでのセトリもこれ以降の演奏も心底素晴らしいと思えただけに少し残念な気持ちになった。まぁ万全な状態でMassive Attackを見たいという気持ちは共感するけどさ・・・。演奏そのものがテクスチャとして機能するようなライブだっただけに、Never Meantは"リフ"のキャラクターが強すぎて、セトリからちょっと浮いてるように感じたのもある。

ベストアクト2、Massive Attack。アマプラ配信でも色々話題になっていたと思うけど、劇薬のようなVJに目が釘付けになった。こんなん一時だって目を離せないのだが、それでも最高に心地の良い演奏がここにある。音に身を任せ、何も考えず爆踊りしたいのに、映像に体を抑制されるもどかしさは他にはない経験だ。スマホやテレビ画面の奥から伝えられてくる凄惨な現実は全く他人ごとではないと突きつけてくる。音楽はいつだって全員が当事者だということを教えてくれる。パンクはロックスター神話を破壊しながらも、ただ成り替わっただけにすぎないと更に否定したポストパンクのその先として、確実にMassive Attackはある。ダブであり、ヒップホップである必要性がここに詰まっている。フジロックでこれをやること自体に自己批判性があるし、矛盾を孕みながらも疑問を問いかけることを、自分はポストパンクから教わった。賛否両論あったみたいだが、身近な同趣味の方々でも受け取り方の違いを議論できた時点でとても意義があるだろう。みんな音楽に求めてるものは違うだろうし、そんな当たり前のことを再認識するきっかけになったんじゃないか。Massive Attackのためにフジロックに来たのだが、本当にこれを現場で見れてよかったなと思う。

あとは生演奏によって初期のサンプリングで作られた曲群も再解釈されたような感触があり、ダブとかトリップホップとか以前に普通に良い曲ばっかだねっていう新鮮且つものすごく真っ当な感想を抱いた。Angel→Safe From Harmとか、超ぶち上がりましたね。グリーンのこれまでの演奏と比べると音量小さく感じたけど、むしろ完璧に分離の効いた音響は演奏をしっかり聞かせる方を向いていた。VJの詳細に関して、何が起きていたのか、ライブレポとしても解説記事としてもサムさんのnoteが素晴らしいのでまだ見てない方いたら是非とも。これが配信されたっていう事実が本当にすごいよ。

ヘッドライナーを終え、疲れすぎて帰る気満々だったんだけど苗場食堂のXXXX XXX XXXXXXXがOGRE YOU ASSHOLEだと当日に発表がありせっかくだし行く。ほぼサプライズ、予想されていたらしいが前日まで何も知らなかった。オウガ、人生で最もライブを見てるバンドだし、なんならこの日の先週も行っている。なんで新潟まで来てまた見てるんだろうっていう乾いた笑いが出た。しかも最後に。しかも配信でやった前々日とほぼ同じセトリだし。体を一回リセットされた感覚があり、色々救われた気持ちになった。これに関しては別でレポートを書いているので良かったらどうぞ。

(記事タイトルはat LIQUIDROOMになっていますが、7月にあったリキッドでのワンマンとフジロックのレポートを内包しています)

帰ります。

流石にこの体力で5時間運転したら死ぬ気しかしないので一泊するために前橋に向かう。これなら一時間で済む。帰り道、ライブ見たことを受けて初期のAmerican Footballって思っていたより兄(Joan of Arc)の影響もろじゃない?という話をしたり、最近のヘヴィシューゲイズのムーヴメントを聞くたびにIsisのPanopticonの偉大さに震えるみたいな話をした。こういった場に来ると、流れている音に対して思ったことやそれぞれの見解をカジュアルに話せるのが良い。前橋の快活クラブで一泊。めちゃくちゃ快適だった。昼飯を食い、ブックオフでレコードを漁り、前橋ウィッチーズの聖地巡礼へ行く。

前橋駅にて午後に解散、ゆっくり運転して帰るつもりが高速のインター入る大通りの道沿いに銭湯が見え、気づいたら湯舟にいた。渋滞がひどすぎて埼玉で一回降りる。バーガーキングでツイッターをしていたら2時間経っていた。結局夜。空いた道を快適に帰還。なんだかんだ8時間掛けた。

 

・終了

フジロック感想。めちゃくちゃ楽しかった。めちゃくちゃ楽しかったのは勿論のこと、それでもやっぱり過酷だな、と思う気持ちの方が大きい。今回急だったのもあったけど、それを抜きにしても宿や移動の選択に関して敷居が高すぎる。やってみたら意外と・・・みたいなことは全然ない。着いても天候は安定しないし、歩いて見て回るのは相当体力がいるし、やっぱりお金も掛かる。全員無理してると思う。こんなに人がいることが不思議に思う。ダークソウルをやったときこんなゲーム確実に苦行なのになんだかんだクリアまでやったしファンが多いの謎すぎるって思ってたけど、あれと近い感じがする。公式からの導線も少ないし、だからこそ、自分たちでメソッドを組み上げる達成感はあるのかもしれない。

実際行ってみて今回の自分の選択や装備に関して改善点がたくさん見つかり、これを踏まえて来年また試したいという気持ちが超ある。また行きたくなっている。ていうかたぶん行くと思う。いつか会場でお会いしましょう。

最後に晦日さんのフジロックレポートをシェアします。自分と同じく初参加、ただ準備にかけた時間やプランの完成度が尋常じゃなく、具体的な費用や時間含めてどういったルートが良いか表にしたり、装備品の案や比較含めて充実しすぎていて死ぬほど参考になります。初参加のお供にこんなに素晴らしいものはないでしょう。自分が全く残せなかった飯とかロケとかについてもしっかり書かれています。すごい・・・(行く前に読みたかった・・・)。

OGRE YOU ASSHOLE - at LIQUIDROOM(2026)

OGRE YOU ASSHOLEが6月にリリースしたat LIQUIDROOMの感想と、その1ヵ月後に行われたワンマンのライブレポートになります。


 

OGRE YOU ASSHOLE、ライブではどうやら音源とは全く違う世界が展開されているらしいという情報はこの大SNS時代にある程度(自分が観測できる範囲では)広がってるように思うけど、それが実際どんなものなのか、現場にいかない人達には謎に包まれていたのではないかと思う。だってもうずっとハイライトとして君臨し続けている、見えないルールのライブバージョンが音源や動画に残っていないのだから。それがようやく、というかもう現場以外では体験できないものとしてやっていくのだろうと勝手に諦めていた頃にリリースされたのは、本当にとても嬉しく思う。

OGRE YOU ASSHOLE - at LIQUIDROOM(2026)

at LIQUIDROOMは2025年末に行われたリキッドルームにおけるワンマンライブの一部分を収録したEP。EPとは言うが5曲で46分あり、フルアルバムとしても、サイケデリック空間に浸り、踊ることを目的としたコンセプトアルバムとしても完璧な作品。オウガをプロデュースやリファレンスの近さからゆらゆら帝国及び坂本慎太郎、サイケでクラウトロックな和製AORの系譜として聞かれている事実は未だにあると思うが、結構もう全く違う宇宙にいるのがわかるだろう。ライブバンドっていう肩書は死ぬほど世に溢れているけど、そのどれもが嘘ではないだろうし、ちゃんと生でしか伝わらないものはたくさんある。故に、OGRE YOU ASSHOLEを特別なライブバンドとしたいわけではないのだが、ただリリースされるスタジオ音源はライブで披露されたものと全く姿が違ったりするし、音源通り演奏される機会は一度も無かったりするため(朝が良い例)、ライブに行かないとわからないことが多いバンドではあると思う。それがライブの付加価値ではあったのだが、本アルバムがその距離を縮める役割を今後も担ってくれるだろう。

開幕のROPEはかつてworkshopにも収録された電子音と空間的なギターを漂わせるmeditation ver.。家の外EP~自然とコンピューターをリリースするにあたり、クリック音がない代わりにシーケンスそのものを一メンバーの演奏として捉え、電子音+バンド演奏でバンドのグルーヴを追い求めるのが今のモードといったことをインタビューで言っていて、それを反映した選曲ではないかと思う。実際その妙味を体現する待ち時間~家の外(2曲繋げて巨大な1曲になっている)が今作でもM2~M3に置かれていて、ほんのりノイジーで粒が立つ電子音と、そこ纏わりつくリズムの歯切れの良さを助長する2本のギターはかなりファンキー。クラフトワークのライブの横でカーティス・メイフィールドが演奏している感じ。会場でこのイントロを聴くと毎度ゾクッとする。続くM4の朝はworkshopやライブを再録したようなシングルが既にリリースされているが、まさかの家の外のアウトロから直接繋がる特殊なバージョンで、実質3曲繋がった新たな組曲形式に。家の外も顕著ではあるけど、音源ではある程度抑制された淡々とリズムを支えるドラムがライブではよりしなやかに、有機的に形を変える姿に結構驚くのではないかと思う。一番の違いはここだと思うし、めちゃくちゃぶち上がる。

見えないルールは原曲は5分前後の冷たいファンクでシングル枠ですらなかったが、自分の記憶では2019年頃から長尺になり始め、ライブを経る毎にどんどんアレンジが変わっていき今では欠かせないアンセムに変貌。当時のライブのキラーチューンと言えばフラッグとロープがお決まりで、見えないルールが強力になっていくのに連動するかの如く徐々にその2曲がセトリに入らなくなっていったことを覚えている(ぶっちゃけちょっと寂しい)(その2曲も音源とは全く違う長尺&爆音バージョンでそちらはworkshopで聞ける)。知人の受け売りだが、こういったオウガのライブアンセムは電化マイルスの混沌としたライブ音源(Agharte、PangaeaやDark Magusの頃)と重なるものがある。原曲が長尺のセッションへと歪められているという意味では、昨今再発され続けているCANのライブ音源も並べて聞けるだろう。

見えないルールは本当に見るたびに違う形になっていて、比較的音源通りだったworkshopのときとはもう別物、これまでもダブダブな音響が入ったりカッティングがより鋭くなったり、楽曲の構成やパーツの順番が入れ替わったり、もっとハイテンポでマッシブなときもあったりと、ずっと試行錯誤が繰り返されてきてその都度違うバージョンが存在する。原曲がスカスカなことで演奏が力強くなったり、構成がドラマティックになるにつれて元々あった歌メロの良さが音源より際立ち、わかりやすいカタルシスであるキメ+ギターソロのバースト部分(今作では6:58~)も定番となり、今はライブで欠かせないポジションになっている。というかシンプルな構成故その時々のメンバーのやりたいこと、思いついたアイデアを盛り込みやすく、演奏する側も楽しめる枠なんだと思う。この変遷に関しては本ブログでずっと残してきたので気になる方はそちらで想像してもらえると嬉しい。今回は割と緩い雰囲気で始まって徐々に熱を上げていく、前回挙げたにせんねんもんだいとの対バンのレポで書いたものとほぼ同じ形が収録されている。

OGRE YOU ASSHOLEのライブに通っていく中で、見えないルール然り、ロープやフラッグが進化してセトリから消えたり、家の外や朝が入ってきたり、また盛られていく様を見守ることができたっていうのはとても楽しい体験だった。多数のスタジオ盤の手札から、現在のモードに合わせてコンセプチュアルな選曲がされるってのも何度も通いたくなる要因である。今回のat LIQUIDROOMも別に集大成ではない、たまたま今のモードを反映したものでしかなく、きっとこれからも変わり続けていくだろう。見えないルール(に限った話ではないが)、正直なところを言うと音源に残っていないベストテイクやもう聞けない好きなアレンジがたくさんある。個人的な好みを言うとダブのモードが強い時期がとても好きで、その時のセトリにはハンドルを放す前に、素敵な予感も入ってた記憶があり、全体でその色を反映していた。今回の音源は比較的さっぱりとしていて、全身がもっと身軽になったというか、これはこれで余裕が見えてかっこよく、自然とコンピューター以降のモードとシームレスに繋がるアレンジだと思う。

(ダビーだった頃のライブレポ。ライブ音源、正直に願望を言うともっと小まめに出してほしい。King CrimsonやGrateful Deadがめちゃくちゃライブ盤を出していてそれを追いかけるファンの気持ちが今なら少しだけわかってしまう。Cloud NothingsやSonic Youthのbandcampみたいに放出してくれませんかね・・・?お待ちしております。)

余談だが、自分がファンクやソウルをここ何年か聴き続けているきっかけの一つとしてOGRE YOU ASSHOLEのライブの影響がとても強かった。当時はこれが何をやっているのか、何も理解していなかったのだが、今聴き返しても、確かに踊れはするけどねちっこいソウル/ファンクのグルーヴ感とはまるで別物だなと思う。意匠は借りつつも、もっと淡白な、それこそ朝におけるベースラインが顕著だが、"跳ねる"感覚はあまりなく、ゴムのように伸縮する線の長いフレーズの反復はどこか機械的でマシンビートな質感がある。これを聞いてソウルやファンクに行こうってなるのは当時の自分の視点の曖昧さが露呈して恥ずかしいんだけど、その勘違いから突っ走って今の音楽趣味があると思えば、その我武者羅な旅路はいい経験だったと思う。

OGRE YOU ASSHOLE - LIQUIDROOM 22nd ANNIVERSARY - 2026.7.17

at LIQUIDROOMを引っ提げてのリキッドワンマン。会場も一緒だし、リリース直後だしってことで上記のM1~M5は丸ごとプレイされていたけど、やっぱ会場で聴くと待ち時間の極太の電子音の圧などは全く違うなと実感。以下セトリ。

フェンスのある家

二つの段階

なくした

影を追う

お前の場所

ただの好奇心

真ん中で

ROPE meditation ver.

待ち時間~家の外~朝

見えないルール

en.記憶に残らない

前半がレアセトリで、フェンスのある家のアウトロ→ふたつの段階→なくした→影を追うの流れのカーティス・メイフィールドっぽいチャカポコ跳ねる緩いファンク・グルーヴは今まで見たことない新機軸。あと自然とコンピューターリリース後の1年くらいはライブに通っていなかったため、そちらの収録曲を結構聞けたのが嬉しかった。とくにお前の場所のアウトロが盛られてダンス・グルーヴ全開のアンセム化していたのは完全に初見で衝撃、これからどんどん進化していくのかなと期待してしまう。その前半を締める真ん中で、はオウガにしては素直にセンチな名曲で流石に泣いてしまった。本当に定番にしてほしいくらい素晴らしく、USインディー期とサイケ三部作の中間にあたる時期の曲だが、AOR由来のメロウな空気が漂っていたと思う。このメロウな前半と後半のレイヴパートへの橋渡しをしてくれるポジションとして、at LIQUIDROOMのM1でもあるROPE meditation ver.も素晴らしく、いいとこどりで音源とは違って聞こえた。あとはライブ盤のセトリをそのまんま再現した終盤へ。前半で色んな色を付け直すことで違う風景が見えてくるのが、とても良い。あとあんま関係ないけど会場でCANのOne More NightやYo La TengoのLast Days of Discoといった超好きな曲が流れていて上がった。

ちなみにOGRE YOU ASSHOLEはこの翌週のフジロック1日目に出演。しかもなんと配信枠、比較的長尺のオウガのライブ映像が生中継される熱い展開へ。これまでライブ配信はずっとなかったし、ライブ盤のリリースやら配信やら、なんか突然外に開けた報が多いことは素直に嬉しく思う。やっとか~!という気持ちがめちゃくちゃある。フジロック配信でもat LIQUIDROOMの流れを踏襲しつつ、最後にワイパーをやっていた。野音やベイキャンプでも演奏されてた記憶があって野外の彼らのイメージと合う名曲だと思う。あとは地味に見えないルールのアレンジが前週見たもの=at LIQUIDROOMのものとはもう変わっていて、冒頭の歌メロをなぞるリードギターが追加されていて新鮮。あと後半に朝のギターフレーズが盛り込まれていたのは流石に熱かった。

余談2、フジロック3日目に参戦し、American FootballとMassive Attackで死ぬほど感激し、帰ろうと思ったらシークレット枠のxxxx xxx xxxxxxxがオウガだったことを当日突然知る(マジで知らなかったし、行く予定もなかった)(2回出ることなんてあるんだ)。せっかくだし、ということで結局駐車場の時間ギリギリになるとわかっていながら最後はオウガを見て帰ったのでした。ここまで長い旅路の、しかも初参戦の憧れのフェスに行っておきながら、なんだかんだ最後は先週も見た・・・というか人生で一番ライブに通っているいつものバンドのいつものセトリを聴いて帰るのかっていう、乾いた笑いが出てしまった。セトリはこれまたat LIQUIDROOMを元にしていたんだけど、ボーカルにエフェクトが掛かっていて宇宙的な雰囲気が増していた。あと個人的に夜の野外で聞くオウガって一番最高。だってこれだけライブ見てても未だにベストテイクはRSR2019だって言えるから。

余談3、リキッドルームでライブを見た7月17日、ライブ前に吉祥寺で山岸涼子トリビュート展に足を運んでいたのだが、70~80年代のSF少女漫画の巨匠たちの作品群とOGRE YOU ASSHOLEの音楽はとても合う。というか自然とコンピューターが出たとき自分は諸星大二郎の初期短編のサントラみたいだっていう感想を投稿していて、まさにトリビュートの表紙も諸星大二郎が3分の1担当している(何度見ても素晴らしい表紙だ!)。自分の好きな山岸涼子や萩尾望都も諸星大二郎をきっかけに知ったことを思い出し、勝手に繋がった一日になっていた。以上でした。

 

 


 

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全アルバム感想と、関連作品の所感。

何度か触れたが、workshopというライブ演奏を元にして編集したコンセプトアルバムが3枚出ていて、オリジナルアルバムと同等レベルに重要なので是非。こちらはライブ盤というより、直前のオリジナルアルバムのライブアレンジ風作品といった方が近く、本当に純粋なライブアルバムは今回が初めての作品。

余談4。at LIQUIDROOMもアナログで出してほしい・・・と思ったけど中間に長尺の組曲挟んでるからA面B面で分けられなくて流石に無理ですかね?もっと曲を増やしたフルバージョンとかで期待しています・・・。

告知

告知です。自作のZINEがいくつかの店舗で取り扱いいただけることになり、既に昨年から置いてもらっているショップもあったため、今回改めてまとめさせていただきます。pärkとlimboという、イラスト集+ディスクガイドという形式でこれまで作ってきた2冊になります。

 

LIKE A FOOL RECORDS

LIKE A FOOL RECODSはcinema staffのメンバーでもある辻さん主宰のレコード屋で、店舗自体は新代田FEVERの道路挟んで向かいにあり、夜はえるふえるとして飲み屋も兼ねています。昨今のNUMERO再発や、それに纏わるバンドの再結成による海外アクトの多数がFEVERや下北沢でライブをしていて、その都度覗いたり、レコードを買ったりしていました。オブスキュアなエモ~インディーロックからNOUGATといった本ブログで書いたこともある自主レーベル内のアーティストまで熱いものが多く、また辻さんが書いたJune of 44のコラムに自分は多大な影響を受けています。とくに本ブログで書いた記録シリーズ(記録シリーズ:Rodan / June of 44 - 朱莉TeenageRiot)における人脈を辿っていく流れも、このコラムから知ったものが混じっています。

辻さんにはリスナーとしてもレコ屋の店主としても大きく影響を受けていて、こういった形で交錯することができたのを嬉しく思います。cinema staffも自分が海外のインディーロックなどを聴くようになる前に愛聴していたバンドで、ステージ上で激しくギターを弾く姿を何度も見ていた方でもあります。先日バンド主宰のAll Our Tomorrowsではインディーからメジャーまで全部繋ごうというとてつもなく大きな信念、気概を感じて、そこにレコード屋やレーベルを通じてやってきた辻さんの活動と直結するものを見ずにはいられず、本当にグッときました。レコード屋としても素晴らしい場所で、これまで自分も海外の再発作品やレコード、ZINEを多数買わせてもらっています。もし店舗に足を運ぶ方いましたら覗いてみてください。来日公演でもよく会場になる箱のすぐ目の前にあるため、シンプルにライブ後に気軽に入れるレコ屋、飲み屋としてもおすすめです。

 

3LA

3LAはLongLegsLongArms Recordsという名前でyoutubeやレーベル、ライブのブッキングなどを精力的に行っていて、自分も追っているのはここ数年なのですが、エモ~ポストハードコアから脈々と続くシーンや今ほど広まってなかった激情系をかなり前から取り上げ続けているすごすぎるディストロです。詳細はGRUMBLE MONSTERのインタビューにて(またGRUMLE MONSTER自体にもすごくお世話になっていて、主宰のイトウさんも弊ZINEに関してとても嬉しいコメントをいただいたこともありました。)

自分も中々国内では自力で入手することが難しかったEbullition関連の作品を3LAで購入していました。近年はSPOILMANやButter Sugar Toastといったバンドとの連帯でも知られていて、例えば2枚同時リリースであった2つの4thことComberとUndertow(SPOILMAN - UNDERTOW/COMBER(2023) - 朱莉TeenageRiot)、リリース時のZINE作成及びクラウドファウンディング、重なって行われた同年に区民センターを使って行われたフリーライブ(SPOILMAN - BASTERD NERD PIG(2023)/20231223 Live at 滝野川西区民センター(2024) - 朱莉TeenageRiot)、翌年の飛鳥山公園を使ったフリーライブ及び新譜リリース、これらの企画や運営に関わったり、且つ並行して行われたSPOILMANの海外ツアーも主導していて、インディーシーンの国境を越えた新たな連帯を築くことにリソース惜しまず外へと繋げていくずっと眩しい存在です。Butter Sugar Toastは個人的に大変感銘を受けているバンドですが、こちらの1stアルバム及びレコ発企画にも関わっていて、自分も拝見したのですが1/8計画やJesus Woundというシーンを拡大していくようなブッキング含め、現行で新しい何かが始まっていくような非常に熱い企画で色々なものを受け取りました。

そして文フリにも参加していて、会場での交流をきっかけに店舗の方でも置いて頂けることになりました。告知記事を見ればわかりますが、個人的故に濃密なディスクガイドにしたかったといった自分の意図や側面をしっかり汲んでくれ、そして評価してくれたことも感謝しかありません。本当にありがとうございます。

 

ディスクユニオン

説明不要の国内最大手のレコードショップで取り扱っていただけることになりました。マジで超嬉しいです。ありがとうございます。どれくらいお世話になったかわかりません。現在も地方在住ですがなにか遠征で東京に行くことがあれば必ず立ち寄っています。店舗のある最寄り駅に着地した際、行かなかったことは本当に一度もなく、体の半分くらいはディスクユニオンに作られたと言っても過言ではないです。最近はZINEにも力を入れていて新宿のブックユニオンの品揃えには驚きました。音楽書籍を集めるのが趣味でもあるので新宿にいくのが今では毎回楽しみにしています。文フリにも参加していて、取り扱い商品のみならずユニオン主宰でいくつかZINEを作っているという事実も驚きました。こちらも興味深く拝読させてもらっていて、こういった一環の流れに連ねてもらったことも光栄に思います。

また、なんと大々的にニュース記事まで作成してもらっています。何から何まで本当にありがとうございます。店頭でもお買い求め可能ですので、立ち寄った際には是非チェックしてみてください。

 

 


 

以上でした。元々趣味で作り始め、自分の周りの音楽趣味が合う何人かの人の手に渡ればいいなと思っていたくらいでしたが、本当にたくさんの方々に協力してもらい、ここまで活動を続けられたことにいくら感謝してもしきれないほどの思いがあります。普段から自分の活動を追って頂いてる方や、ライブやSNSを通してぼんやり交流があったり、お互いを認識している方々以外にも、このブログを知らなくとも、単純に同じ音楽が好きだったり、表紙やコンセプトに興味を持ってくれた方々など、まだまだ観測できていなかった範囲にまで手をとっていただける機会が増えたことを嬉しく思います。

自分のBOOTHでも販売中ですが、limboは一旦完売(年内再販予定あり)、ですが各種店舗には在庫がありますので、本記事が参考にしていただければと思います。また、コミティア、文フリといったイベントにも今後もっと参加していく予定です。なにかしら特典を付けたり、毎度新しいことを試していきたいと思います。会場でお会いできる日をお待ちしております。また、他にもお取り扱いいただける店舗、ディストロ等あれば連絡お待ちしております。サークルで委託販売していただけるとかでも嬉しいです。ゆっくりですが、また何か作って良ければいいなと思っているので、今後ともよろしくお願いします。

 

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