Codeineは1989年結成、91年に1stアルバムとなるFrigid Starsをリリース。3年後の94年に2ndのThe White Birchをリリースし同年に解散。その後も2013年に期間限定の再結成を行いましたが、メンバーは音楽を引退し普通に働いていたため10年間ライブ活動を行うことはありませんでした。2022年頃からオリジナルメンバー3人で再結成、それ以降は意欲的にライブを続けているようで、なんと今回初の来日公演。今回行った18日は対バンでermhoi、21日はmei eharaとuri gagarn。22日は行けませんでしたが企画のimakin氏のバンドであるHausと、VINCE;NTとTexas 3000で、VINCE;NTとTexas 3000はメンバーがスタッフとしてツアー全て一緒に回ったというのが熱いですね。本当に素晴らしかった。June of 44のときも思ったのですが、世代的に完全に後追いの自分はバンドを知ったころにはもうすでに活動していなかったわけだし、インディーシーンにおいては大御所でも、まさか復活したり来日をしてくれるようなバンドだと思ってもみなかったわけです。なので当たり前ですが目の前で楽器をセッティングしてる姿を見るだけでも「本物を目の当たりにしている」という事実自体にとてつもなくグッときてしまう。こちらセットリスト。アンコールあり、およそ1時間20分たっぷり堪能できました。いきなり「D」から始まるのも衝撃。
uri gagarnの威文橋氏はgroup_inouではcp名義でボーカルや作詞も兼任していて、自分は元々group_inouの大ファンなので、pärkというZINEのタイトルはgroup_inouの曲名を意識していたり、描いたイラストのインスピレーション元にinouの歌詞があったりします。本当にたくさんのものを受け取っているなと強く実感したし、すごく個人的な話ですが終演後、威文橋氏本人にpärkを献本することができたのもいい思い出です。
1989年にニューヨークにて結成されたCodeineの1stアルバム。Sub Pop発。liveaboutのスロウコアランキングでも一位に選出されたアルバムで、Red House Painters、Low、Dusterと並びスロウコアというジャンルを語るにあたってまず名前が挙がることが多いアーティストではないでしょうか。同じく硬質で隙間が多く、同時期にアルバムをリリースしていたのもあり比較されることが多かったSlintとはまた違ったカラーがあり、Slintのようにアルバム内にスロウコア~ポストハードコアが同居した感じではなく、最初から最後まで10曲41分、ひたすら緊張感のある純粋なスロウコア/ サッドコア色が強いアルバムです。もちろん当時そんな言葉はなかったので正真正銘オリジネイターなわけですが、M1のDにおける枯れ切ったギターのトーン、そして素朴なボーカルはあまりにも象徴的。基本的には静→動へと大きく展開する曲が多いですが、バースト部分以外はあまりにもスカスカ。淡々と、ゆったりと鉄を打ち付けるようなひんやりとした金属的なサウンド、そして無気力でくたびれたボーカルによる仄暗さは、まだスロウコアというジャンル名が存在してなかった当時に一つの印象を決定づけたものでしょう。突然蛇口出しっぱなしにしたかのような、荒々しくジャンクな金属的ギターノイズの轟音が垂れ流される静→動の展開は後にMogwaiが「影響を受けた10枚」に彼らのアルバムを選んだのも頷けます。90年台に解散してしまいますが後に再結成、そのときもMogwaiとともにライブをしたとのことで、再結成もMogwai側からリクエストがあったそうです。後にエモと呼ばれるバンドたちに与えた影響もかなり大きいように思えるし、しかしエモを聞いて想像させられる情景と比較するとCodeineは徹底的に灰色。このモノクロームなトーンがまた良くて、これも後にスロウコアと呼ばれる音楽にかなり影響を与えていると思います。というかその原風景がこの作品になるのでしょう。クリス・ブロコウのあまりに淡白で、隙間だらけのドラムはより一層バーストパートでの激情を強調しているようで、後のドラマーが変わる2ndとは同じカラーを持ちつつも、また違った良さがあるアルバム。
Codeineの92年作EP。元々は2ndをリリースするためのレコーディングに入っていたらしいですが、中々曲の数が揃わず、フルアルバムではなくEPとしてリリースしたとのこと。The White Birchの曲もこの時点でいくつか録音してたようですが、テープの保存だったり色々問題が発生してしまいリリースできず、そのままクリス・ブロコウが脱退したため長らくお蔵入りすることに。The White Birchは後にダグ・シャリンが参加してから全部再録されてしまうため、この未発表音源は2022年、Numero Groupによって再発されるまで日の目を浴びることはありません。そして今作、丁度1stリリース後にBastroのデヴィッド・グラブスとジョン・マッケンタイアからオファーを受け共にツアーを回っていたのもあり、今作ではオルガンでデヴィッド・グラブスが参加。そしてJr. という曲のギターは同じくデヴィッド・グラヴスが参加していたポストハードコアバンドのBitche Magnetからジョン・ファインが参加していて、ハードコアシーンとの関連の密接さもあらわした重要な1枚。M1のRealize からはっきりと1stの頃とは録音の質感が変わっていて、1stにおける荒々しいささくれ立ったギター音と比べると後のエモやポストハードコア、Dischord Recordsの面々とも通じそうな硬質で密度の高い洗練されたギターの轟音はギラギラとした熱があって全てを飲み込んでいく。とにかく物量で押し潰してくるような、この音色だけで後のシューゲイズやポストロックにも通じるような気がしてしまいますが、今作でも圧倒的にCodeineはCodeineでしかないモノクロームなトーンがずっと続く。そして1stと比べると際立ったメロディーが多いアルバムで、轟音の中浮かび上がってくる儚くもどこかメロウボーカルは神聖な雰囲気すら漂う。
Sub Pop発の1994年リリースの2ndアルバム。今作からドラマーのクリス・ブロウコウがComeの活動に専念するため脱退し、後にHiM、June of 44、Rexなどに参加する、まさに当時のシーンを代表するとも言えるドラマーのダグ・シャリンが参加します。クリス・ブロコウもComeだけでなく、元Bedheadのメンバーのその後とも言えるThe New Yearや、最近ではEarly Day Minersのメンバーが在籍しているAtivinにも参加したため、スロウコア/サッドコア~ポストロックシーンを辿っていくとCodeineのメンバーは幾度なく見かけることとなります。そしてダグ・シャリン、Codeineのように音数が少なく、バーストするパート以外は最低限の骨組みのようなバンドでドラマーが変わるのは本当に大きなファクターだと実感させられます。前面に出てくるギターとボーカルが彩るモノクロで陰鬱な世界観はそのままなので一見外郭は同じでも、その内側、前作までの静→動のコントラストがより強調されたクリス・ブロコウのドラムとはまた違った表情が見えてきて、それこそMogwai にも通じるような、まるでドラムが歌っているかのような繊細なフレーズの組み立て方は、徹底的に寒々しかった1stとはまた少し違った情景を描き出す。それはM1のSeaから顕著に出ていると思いますし、1st以上のスローペースで隙間の多い今作ではその些細なニュアンスの違いもハッキリと見えてきます。M2のLoss Leaderは生々しく冷たいギターの音と、あまりにも激情的な静→動へとバーストする展開はまさにスロウコア然とした新しいCodeineの王道。Mogwaiから辿ってくならすごくわかりやすい曲だと思うし、後に別のコンピに収録されたBBCバージョンでは静→動のコントラストが更に強調され、唯一のライブ盤でもハイライトとして存在してる代表曲でしょう。M6のTomは枯れ切った最低限のメロディーと、1stや前作EPで見せた轟音を更に絞ったことで硬質なドラムの繊細なプレイが浮き彫りになる名曲。個人的に今作のベストソングです。CodeineはSlintやDusterのようにハードコアバンドから直接派生したバンドではないけど、Bastroとツアー回ったり共作したり、その関係の深さや(今作も前作に引き続いてデヴィッド・グラブスがギターで参加)、Come やJune of 44 といったメンバーのその後の活動も含めてハードコアと関連性を見出させる要素が多く、共に聞くことで見えてくることも多いアーティストだと思います。
Codeineが1993年11 月という2nd リリース直前に、シカゴにてMzzy Starの前座として演奏したときのものを収録したライブアルバム。2013年にNumero Groupが発表したもので、音源からですら極端な静と動を激しく行き来するサウンドはおそらくライブで体験してこそ、肌に直接ピリピリくるような冷たい緊張感とそれを全て吹き飛ばす轟音のエモーショナルさが、スタジオ盤とは全く違ったであろうことが強く伝わる素晴らしすぎるライブアルバム。何より1stと比べると極限まで素朴に録音されていた枯れ切ったボーカルがライブでは更に生々しく収録されていて、これ以上ないくらいくたびれた雰囲気が全開。この生っぽい歌声と、スタジオ盤と比べても極端に静と動のコントラストを感じられるライブ録音の組み合わせは本当に泣いてしまう。M1のCave-Inからとてつもなく重いです。何よりダグ・シャリン加入後の体制で1stの曲を聞けるのも良いですね。それに2ndでのプレイと比べると、ライブならではなのかもしれませんが後のJune of 44やRexで聞くことができたパワフルなドラミングで曲のヘヴィさがより一層増しています。それでいてハイハットの繊細なタッチは絶妙な美しさがあって本当に素晴らしい。先ほどのLoss LearderもTomも収録。ライブ盤ですが、素朴で生々しい作品が多いスロウコアというジャンルはだからこそ生演奏や弾き語りと近い雰囲気があると思うので、選曲的も最高だし最初に聞くのにもおすすめなアルバムです。Cave-in っていう曲タイトルはバンド名の方のCave In を連想してしまいますが、実際にCave In はCodeine のCave-In をカバーしているためリスペクトの意もあったのではないかと思います。
先のBarely Realの方で触れたダグ・シャリン加入前にクリス・ブロコウによるいくつかのテイクを収録した2022年リリースのコンピレーション。凄まじい。未発表音源集とは思えないくらい統一感があるので、一つのまとまったアルバムとしてなんの問題なく聞けてしまう、The White Birchにあった数曲+それ以前のEPやシングルB面の曲も収録されているんですが、曲順も練られていて普通に新作です。ダグ・シャリンと比べるとクリス・ブロコウの極端な静→動の展開はすごく激情的な爆発力があり、The White Birchと比べてもかなり硬質に録られているのもあって、一つ一つリフを重ねるように叩くダグ・シャリンとは対比的に聞こえます。元になったThe White Birchはジャケのイメージとも合致した、このジャンルに付託しやすい閉鎖的な息苦しさや貧しさが出ていてすごくサッドコア然としたアルバムでした。今作は全体的に若干テンポが上がり、ドラマーやミックスが変化したことでどことなく音の分離や抜けがよくなっていて、The White Birchにあった息詰まるような不穏さはガラリと変わり、もう少し外に向かって風が吹いていくような、憂鬱ではあるけど風通しが良いような趣になって非常に聞きやすくなったのではないかと。つまり、エモからアクセスできる作品になったと思うんですよ。個人的にM2のJr、M5のRealizeのような轟音の映える曲が際立つアルバムだと思っていて、以前のテイクでのぎっしり収束された轟音は今作で透明感が増していて、そのおかげで奥行きのある生々しいドラムがより強調された感じがします。もちろんそれこそエモとは距離があった、あまりにも素朴で寒々しかった前テイクの方にしかない良さもありますし、今作はそこからまた新しい表情を覗かせてくれる重要作。同年にアルバムをリリースし後にCodeineと対バンもしたdeathcrashあたりからスロウコアを辿ってきた人には最もしっくりくる作品ではないかと思います。
以上でした。自分自身完全に後追いファンですが、多大に影響を受けたバンドでありスロウコア/サッドコアを好んで聞くようになってから日に日に大きな存在となってったバンドです。昨年のJune of 44の来日やRexの再発など、他にもNumero Groupによるオブスキュアなスロウコア再発の流れでも重要なバンドだと思います。ダグ・シャリン関連作だけでなくクリス・ブロコウが後に参加したComeやThe New Yearも、それぞれが違った音楽性を持ちながらポストハードコアのニュアンスを持っていてどれも素晴らしいバンドです。Ativinは昨年アルビニ録音で新譜を出したばかりで、それこそ近隣シーンの再発や再結成が続く中でも象徴的な出来事だったと思います。
あきま先生になりたくて絵を描いていたんですが、遠いところにいすぎるため真似しようとしても全然何をしたらいいかわからないような、まるで手が届かないところにいる方なので、リファレンスというよりは憧れと呼ぶのがしっくりくるかもしれません。mirageの方のイラスト集は出先にも持ち歩いて表紙がボロボロになるくらい読み返しました。ツイッターで「イラストに関して、Wilcoみたいな曲を作ろうとしてるのにYo La TengoやDusterみたいになってしまう」みたいなツイートをしたことがありますが、あれはまさにあきま先生を目指しても何をしたらいいかわからない、感覚でやっても全然違うラインの作品になってしまう、という体験から出てきたものになります。
プレイリストです。私的スロウコアガイドに載っているものだけで作ったリストになります。会場で手に取ってくれた方で後半のZINEについて聞かれたときにイラストと雰囲気が近い、暗くて遅い音楽について書いてますという説明をしたのですが、いざそこから聞いてみようとなったとき、いきなりSlint/Codeineから始まる本書の構成はかなり聞きづらいのではないかと思いました。ある程度音楽を掘ってくことを普段から趣味としてる人であれば、年代順は見やすいかなと思う一方で、イラストやセルフライナーの雰囲気から入ってくれた方には時代関係なく入り口としてわかりやすいものがあった方がいいかもしれないと思い、指標として作ったものになります。おそらくその対象となる方々はこの記事まで読んでないのではないかと思うし、実際聞いてみますと言ってくれた方々もお世辞の可能性もありますが、例えばEarly Day MinersやDusterのようなアーティストを入り口として提示しておくだけでもグッと入りやすくなったのではないかと、盲点だったのもあり少し後悔もあるためここに残します。
Blonde Redheadの9年ぶりの新作。00年台中盤での4AD移籍後のイメージが大きくシューゲイザー文脈でも聞かれるアーティストですが、自分の中では90年台のポストハードコア/ジャンクロック真っただ中のTouch and Goからリリースしていたイメージが強く、初期2作はSonic Youthのスティーヴ・シェリー主宰のSmels Likeなのもあり、アンダーグラウンドなシーンから耽美でゴシックなアートポップへと、ポストロック激動の時代で圧倒的な個を確立させ横断していったアーティストとしてのイメージが強いです。今作9月リリースですがこの強烈に冷たい質感は冬にぴったりだなと思い、実際気温が低くなってからは肌感覚で非常にしっくりくる作品でおそらく下半期最も聞いたアルバムになりました。M1のSnowmanから薄い半透明のカーテンを何重にもかけて視界をぼかしていくような、この中でポストパンクやクラウトロックを思い出す淡々としたビートを気が遠くなるほど繰り返し、深く深く内面の底まで落としてくれる非常に没入感の強い名曲。4AD以降の路線が完全に円熟し切ってます。気が遠くなるほど、とは言いましたが、実際には通して5分しかない事実に驚いてしまうほど陶酔的で、自分の視聴感覚とのズレにかなり衝撃を受けました。M6~M7のSit Down for Dinnerというアルバムタイトルを冠する2曲はミニマルな音の隙間、空白を単なる空白として聞かせないサウンドスケープはモノクロームな世界に少しずつ色をつけ情景を描いていくような非常に映像的な2曲です。カズ・マキノの唯一無二の歌声も強烈に刺さってきて、今作は明確に近しい人たちとの別れをテーマにした作品とのことですが、ただ単に暗いという言葉で片づけるわけにはいかない喪失感に寄り添ってくれる穏やかなアルバムだと思います。
Truth Clubの2nd。2019年の1stも当時の年間ベストで上げたバンドで、前作ではまだ初期Dry Cleaningのようなポストパンクとインディーロックの折衷と言った要素が強かったですが、今作はエモ一歩手前といったノスタルジックな情感漂うギターロック色の強い作品に。収録曲全てが名曲です。アルバム通してどの曲にも徹底的に"くたびれた"雰囲気がずっと漂っているのが良い。このくたくたに疲れたボーカルと、音数を減らした静パートの噛み合わせはスロウコアと通じるところが多々あるし、そのままじわじわ熱量を上げていくアンサンブルはただ音の厚みと轟音でカタルシスを演出するのではなく、肥大化させたものを爆発させず、ガスを抜くように風通しよく穴を空けてしまう平熱のボーカルが強烈に自分のツボを刺激します。5th emo waveやエモリバイバルといった90sのハードコアから直接繋がる硬質な質感を絶妙に避けていて、轟音に至るシーンも多いですがシューゲイズのような空間的なものでもない、もっと物理的なガシャガシャとした密度のあるバンドの音圧は90年台のCastorらも思い出してしまいます。OvlovやHorse Jumper of Loveといった10年台以降のインディーロック/オルタナのラインから、Weatherdayのように日本のギターロックファンにも刺さりそうな作品で、90sのインディーロックや枯れエモからこういったジャンルを聞くようになった自分にとって、熱量を上げすぎない質感がすごく肌に合ったアルバムでした。
ロサンゼルス出身Sprainの2nd。元々2018年にリリースされた最初のEPはEarly Day MinersやDusterのような暖かいメロディーの王道スロウコアを真っすぐにやっていて、そして2020年セルフタイトルの1stでUnwoundとSlint~June of 44を掛け合わせたかのような硬質で捻じれたポストハードコアへと大きく変貌。スロウコアとポストハードコアが太いパイプで繋がっていることをまじまじと見せつけるような作風で、これを2020年にやるのかと心から震えました。そして2023年、今作The Lamb As Effigyで彼らは異形のバンドへと進化を遂げます。UnwoundのLeaves Turn Inside YouがSonic YouthのDiamond Seaを喰ったようなアルバムで、マッシブなSlintとも呼びたくなる前作譲りの硬質で強靭なバンドの芯を屋台骨としながら、重厚なストリングスや不穏なオルガン、美しいアコースティックギターの旋律を聞かせたかと思いきや、今度はそれらを一瞬で塗りつぶす耳を塞ぎたくなるような金切りノイズ、時折見せつける悲壮感にまみれた虚無の時間と、静寂とバーストがはっきりと対比的にあるわけでもない、ただただ居心地の悪い、どこか呪術的ですらあるモノクロームの万華鏡のような美しい音世界。感覚的にはP.i.L.のFlowers of Romanceも思い出してしまいます。8曲90分超えのボリューム、目まぐるしく動く世界観はとても軽い気持ちで聞き流せるアルバムではないし、聞きやすい作品だとも思いませんが、ここまで完全にブレーキがぶっ壊れたまま、自分たちの世界に行ってしまったものを体験できるアルバムは他にないと思います。M2のReiterationsは結構わかりやすいポストハードコア路線で、1stの地続きとして最も聞ける曲だと思います。M5のThe Commericial Nudeは(イントロは激しいノイズですが)スロウコア路線として圧倒的に美しい名曲。M6のThe Recliing NudeはZepのNo Quarterのようなカタルシスがあります。
2023年5月に脅威の2枚同時リリースを成し遂げたSPOILMANの2枚。Touch and Goライクなポストハードコアから呪術的でおどろおどろしい未踏の境地に至った怪作HARMONYから1年、HARMONYの路線を受け継ぎながらMelvinsあたりも思い出すドゥーミーな香り、Blonde RedheadやShipping Newsにまで通じる不穏さを芳醇に纏ったCOMBERと、逆に1st2nd期を思い出すJesus Lizard路線を再び突き詰めたように思える、リズム隊のドライブ感と全身刃物のような鋭利なジャンクギターが全てを飲み込むUNDERTOWというそれぞれ明確に違う色を持った二作。決して二枚組というわけではなくそれぞれがコンセプチュアルな世界観を持ったアルバムで、どちらも合間にインストを挟むことで流れもしっかりしてますし、何より単発でライブアンセムとしてもとてつもなくかっこいいシンプルな名曲「Super Pyramid Schems」「Fantastic Car Sex」がそれぞれのアルバムで核として存在していて、そこに至るまでの導火線の如く張り巡らされたアルバム構成の妙も見事で本当に凄まじいバンドだなと実感しました。
スピリチュアル・ジャズの大御所ファラオ・サンダース1977年作がデヴィッド・バーンのレーベルであるLuaka Bopより再発。しかもライブ音源を収録していて、リリースされた9月以降今に至るまでずっと聞いている作品です。彼特有の陶酔的に繰り返されるフレーズの反復の妙がよく出た3曲で、サイケデリックを通り越してチルの領域にまで足を踏み込みかけた印象もあるM1のHarvest Timeにおける、ギターとベースのリフレインの各レイヤー入り組みながら完全には重ならないよう宙に浮く音の配置は非常に繊細。この和音の心地よさに恍惚としてしまいます。そしてM2のLove Will Find a Wayにおいては、初期作で確立させたコルトレーン以降のスピリチュアルな作風を一回薄めてアフリカンな色を強くしたWisdom through Musicを継承したような1曲で、肩の力抜いて聞ける反復のセッションと、クライマックスにおいて体の奥底から振り絞った生命力そのものを見せつけるかのようなダイナミックなサックスソロはしっかり心を揺さぶってくる。彼の作品って結構気合入れて聞くイメージがあって代表作の「Tauhid」や「Karma」は映画一本見るくらい大作ですが、このアルバムは地に足のついたグルーヴィーなリズムを根幹としつつ、それを構成する音色がどれもこれも浮遊感のある聞き疲れしないもので構成されていて軽い気持ちで流しやすい。生音感が強く、密室で聞いてる印象を加速させるリズム隊の録音もめちゃくちゃマッチしていると思います。それでいて腰を据えて聞いてもしっかりフックのあるおかずが散りばめられていて、じっくり世界観を味わえば味わう程ラストのサックスソロにおけるカタルシスも増すという、こういった、聞き時を選ばないという点も愛聴盤になった大きな要因かと。ファラオ・サンダースをこれから聞きたいという方にもおすすめです。
ライブ会場を中心に販売されたOGRE YOU ASSHOLEの新譜で(9月にサブスクでも聞けるように)、OGRE YOU ASSHOLEは普段からライブに通ってるバンドですが最近のライブはファンク色が強く、余白をたくさん残すことで骨組みを露出させたスタジオ盤の作風は実際にルーツにカーティス・メイフィールドを上げているところからも重なるところが多々あります。とくに2017年作の「ハンドルを放す前に」の音数を絞ったミニマルな作風はSlyのFreashを聞いたときにフラッシュバックした1枚です。今作はNeu!やCluster、CANといったバンドのオマージュが散りばめられたクラウトロックを地で行く作品で、スタジオ盤のオウガとしては珍しく電子音のシーケンスがずっとメインに据えられていて、それ故にそのシーケンスと並走するドラムの強烈なグルーヴが今まで以上に際立った作品でした。ライブの熱量のピーク直前とも言える瞬間をうまいことパッケージングした作品にも思えて、平熱を保ったまま永遠に踊り続けられるアルバムになったと思います。
Squidの2nd。オウガの家の外と並んで自分の上半期を象徴する2枚です。今作はグルーヴィーな1stの粘り気の強いビート感はそのまま、ノイズやパーカッション、ホーンセクションといった曲を彩る要素をどんどん足していったにも関わらず、エッジの効いた各パートの音の隙間はしっかり見える、アンビエンスと固形化したアンサンブルのソリッドさを両立させた作品で衝撃を受けました。今作ジョン・マッケンタイアがプロデュースをしていて、セットで1stも聞き返したところ両作ともポストパンクという側面よりクラウトロックやファンクの遺伝子に強烈に惹かれます。Squidはパンクシーンから出てきてWARPからリリースした経緯や、元々ライブハウスでファンクを演奏していたという経緯が自分の中で!!!と重なり、!!!自身がハードコアシーンを出自としながらWARPへ移行したという流れも完全に同じで、このルーツに接近したい、自分が聞いていて最も心地いい瞬間、その感覚のルーツとなる部分にもっと切り込んでいきたいという気持ちからファンクへと興味が向いていきます。その中でレコードコレクターズのソウル/ファンク特集やFunk Of Agesというサイトをガイドにしながら、先述したFreashの冒頭の流れに繋がっていきます。
下半期は新譜チェックの傍ら音楽を掘る時間はほぼファンクを追っていて、ポストパンクやAOR周りからかつて聞いたものより前の、70年台を中心にJBのライブ盤やコンピ、P-FUNK諸作といった王道を順番に聞き、JBからP-FUNKやSlyの人脈を辿ってオハイオ・ファンク、ベイエリア・ファンクに傾倒し、80年台に移行しながらZappやPrince諸作を主に聞いていました。とくにPrinceはかつて苦手意識すらあったのが、Slyを経過した上で聞くとミニマル路線でリンクする部分が非常に多く、ようやく和解できた感覚があり上記のオウガの流れにもリンクします。元々FunkadericのファンだったのもありP-FUNK諸作もしっくりきて、王道ですがMothershipは上記のSlyのFreashと並んで2023年かなり聞いたアルバムです。Freashと通じる聞き方も多数できる作品だと思っていて、音数の少なさ、曲自体はミニマルな反復の中でもねっとり絡みつくような各パートのグルーヴ、そしてその中でも徐々に熱を帯びていく感覚はParliament独自のもの。ジャンル概念自体がまだできたばかりで曖昧だったのもあると思いますが、SlyやPariliamentの70s中期の作風は本当に混沌としていて、これが一つのジャンルとして共存していたのかと聞き進めるのがとても楽しかったです。P-FUNKやSlyの次にハマっていたバンドがOhio Players、オハイオファンクと言えば後のSlaveにも繋がっていくバンドですが、P-FUNKへと合流していくジュニーがコンポーザーを担っていたウエストバウンド時代がとくに好みで、リズム隊の周辺をねばつくように絡みつくホーンセクションやオルガンはジャジーな色も強くよく聞いてました。ジュニーのP-FUNK期だとOne Nation Under A Grooveがベストです。Ohio Playersはジュニー脱退後も好きなアルバムが多く、後期だとSkin Tightをよく聞いてました。
今作、2ndフルのhellsee girlのようなそれぞれが違うカラーを持ちながら、ちゃんと一貫した曲順や流れも練られたコンセプトアルバムとしての良さも両立していて、前年がEPを連続でリリースしていたり、その前に出した直近のフルアルバムが一方向に尖った実験性の強い作品だったのもあり、INTO KIVOTOSは今までの集大成のようなアルバムに聞こえます。前半は疾走感のある曲達が印象的で、M4のLONG RIDEはまるでART-SCHOOLがまんがタイムきららのアニメOPを担当したらみたいな、ギターポップっぽいサウンドでファンクテイストな曲を演奏している彼らを更に口溶けよくしたような1曲。特定の曲っぽいとかではなく、リトルガールハイエースに染み込んだ彼らの遺伝子が血肉と化し表層化してきたみたいな洗練のされ方を感じます。あとは今作ギターの音が死ぬほどかっこいい。M2の(don't stand so)close to meは個人的に今作のベストで、くたびれたアコースティック路線から轟音を炸裂させていく、荒々しさと暖かさが同居した仄暗い雰囲気がたまりません。今作このジャリっとした金属的なギターにジャンクな質感とスッキリした生音っぽさが同居していて、このギターの和音と、ゴスゴスとしたドラムの音は耳に着地する際に一回潰れて破裂してくような気持ちよさがあります。それこそ先ほど触れたアップテンポなcetaceanとかでも非常に映える要素かと。(don't stand so)close to meというタイトルはThe Policeの曲から来てますが、これをSyrup16g風につけるという小ネタも凝っていて、Syrup16gの音楽性自体がThe Polliceと関係性が深い上「高校教師」という邦題がブルアカともリンクしてくる。過去作に収録されたmaiやぬけがらといった初期の名曲たちとも被るところがあり、やっぱり僕はこのドラムがゴスゴスしたSyrup16g路線、というタイプの曲がふにゃっち氏の書く曲の中で一番好きなんだと、圧倒的に思い知らされました。
アルバムの流れで最も象徴的なのがM9の緩衝地帯で、今までのリトルガールハイエースからは想像できなかったMogwaiのCODYを想起するスロウコアライクなインストナンバー。荒廃とした雰囲気からNirvanaやAlice In Chainesのようなグランジバンドがもし00年台前後のポストロック黎明期に触発され合流していたら、というイフを想像してしまう曲で、前半と後半の流れをこの曲を挟むことで一気に整頓されていく感覚があります。続くINTO THE VOIDも(don't stand so)close to meと近い金属的なギター音がフィーチャーされた淡々としたバッキングを曲の核としていて、タイトルはBlack SabatthもしくはART-SCHOOL、しかしブルーアーカイブ的には銃痕も連想してしまいます。ゆったりとしたペースで隙間を見せることでフレーズの良さ、音色のかっこよさが際立ちますね。後半QOTSAのようにメタリックにヘヴィなリフが展開していく長いアウトロも新機軸。緩衝地帯から続く曲なので、リトルガールハイエースというバンドでこんなに重苦しい曲達を一気に浴びることになるとは思ってもなかったです。最後のWhere All Miracles Beginは全てを破壊する轟音がアクセルなんてとっくにぶっ壊れた状態でそれでもなお踏み続けているようで、Ferewell Nursecallにおけるギターノイズとは全く別ラインの録音における音割れの"歪み"をシューゲイズにも通じる音の塊として再出力させた、FADE TO BLACK路線の全く新しいアンセム。行くとこまで行っちゃったような破滅的なサウンドがこんなにも気持ちよく鳴らされているのはもう完璧な最終曲ですね。ゲームを知らなくても素晴らしいアルバムであることは間違いないのですが、もちろん知ってるとただエピソードをなぞっただけでなく、元々フィクションと実体験の境界が溶け合っていたふにゃっち氏の歌詞がこの世界をどう描いていくかという楽しみ方もできるかと。ブルーアーカイブという一つの意匠を纏いながら、しっかりlittlegirlhiaceが今までやってきたことの延長線にあることをはっきり感じとれる作品だと思います。
2022年のyakinch fear satanのレコ発ライブのMCにてふにゃっち氏は「ブルーアーカイブを始めるので音楽を引退する」と発言していて、実際ここ数年ライブしながら年1~2枚のペースでアルバムをリリースする勢いから正直いつ止まってもおかしくないというか、本当にこれをきっかけに一度休止してしまうのではないかと覚悟していました。そうしたら全くの杞憂でむしろその逆、ブルーアーカイブを起爆剤としてこんなに素晴らしいアルバムが聞けたというのは本当に驚きです。しかも引退宣言(?)をしたライブから丁度一年後、同会場である神楽音にて今作のレコ発が行われたのですが、対バンだったFUZZKLAXON、Pot-pourri、Lily Furyのいずれも違う音楽性ながらシンパシーのあるバンドで非常に刺激的なイベントでした。FUZZLKAXONのフロントマンであるnota氏はlittlegirlhiaceの各種ジャケットのイラストを担当、Pot-pourriはそれこそyakinch fear satanリリース時に対バンしていて、フロントマンのsawawo氏はlittlegirlhiaceのサポートメンバーであるmint氏がベースを担当しているTenkiame(TELEWORKの項で触れた夏bot氏のバンドでもあります)でギターで参加、Lily FuryはINTO KIVOTOSのbandcamp特典で付属するWhere All Miracles Beginのリミックスを担当しています。またINTO KIVOTOSをリリースするにあたって、Lily FuryのAnthorogyというアルバムがインスピレーションとなったとふにゃっち氏のインタビューでも語られています。どのバンドも本ブログの年間ベストやまとめ記事で触れてきたものですが、素晴らしい内容なので是非とも。
19年にリリースされた1stフルアルバム。本当に素晴らしいメロディーを書き続けていることに驚きしかないバンドですが、それを象徴するM1のmeaninglessでは「いつまでもいくらでも/メロディが浮かんで消えるんだ/拭っても拭っても/血が滲む傷口みたいだ」と歌われていて、アンファッカブル/リベンジポルの2作ってそういう作品だったんじゃないかと思ってしまいます。これとは対照的に最初のmeaningless以降はなんらかの二次創作的な曲が多く、M2のアカネは今後ライブの定番となった曲ですが、maiのようなダウナーなアコースティック路線から重厚なギターサウンドへと流れるように展開していくART-SCHOOL路線としては最も好きな特大アンセム。FADE TO BLACKも思い出してしまいます。1つのフィクションの物語としても非常に魅力的な歌詞で自分はこの曲をきっかけにグリッドマンを視聴しました。いきなりサビから始まる疾走感のあるM3のガールミーツブルーや、同じくイントロにおける歌い出しのインパクトが絶大なソラヨリアオイといった、ふにゃっち氏作曲のタイアップ曲のコンピレーションかと思ってしまうくらい初期EPらと比べても外に開けたアルバムに聞こえます。個人的にとあるVtuberを歌ったNISHIOGI ABDUCTIONが好きで、派手なギターリフ一本を軸にリズム隊が並走してリフを魅せていくスタイルで、目まぐるしく展開する疾走感のあるボーカルも爽快感があって驚きでした。セルフライナーノーツの方ではスピッツやWeezerの名前がちらほら出てくるあたりから、今作の開放的な雰囲気はそういうパワーポップからのフィードバックもあるのかもしれません。
1年ぶり3枚目となるフルアルバム。開幕死神のバラッドこそ生っぽいサウンドスケープのピアノやアコースティックギターの響きが印象的な穏やかな1曲ですが、M2のshine以降今までのアルバムで最も尖った荒々しい曲が並びます。Killing Joke風のジャケットとも合致していて、これは前作hellsee girlでのカラフルな作風とは対照的で、とにかくもう割れていようが関係なしとばかりにガシャガシャと突き進むドラムやギターの音が自傷的な歌詞ともマッチし今作のカラーを象徴してますね。ただでさえ荒々しい音なのにアップテンポな曲が多いのも今作の破壊的なイメージを加速させていて、M3のチルハナは本当に「うるさくて速い」を地で行くエッジの効いた1曲。M5のlilyは先行公開された曲ですがイントロから割れまくったヘヴィなサウンドがギターをコーティングしていてとにかく衝撃でした。M9のギターヒーローはこちらも荒々しい録音ですが、サウンドとは真逆にART-SCHOOLのLove Letter Box風の静と動の対比が強烈なナンバー。音は重いですが風通しがよくメロディーも今作随一にキャッチーで、歌詞は当時まだアニメ化もしてなかったぼっちざろっくがモチーフになっています。個人的なベストはM10のdemon girl next doorで、アニメモチーフではあるけどちょっと一歩引いた視点からモチーフ元を原作ネタを織り込みつつ普遍的な片想いソングとして歌い、サビ前の「まちかどで危機管理」で元ネタ開示という流れが綺麗すぎて二次創作の一つの形として感動しました。相変わらずメロディーはキャッチーなのに今までで最も聞きづらい録音という、相反した要素でしか形作れないものが詰まっていて、バンド内でとくに実験的な作品かもしれません。
前作のジャケットがKilling Jokeなら今作はSiouxsie And The Bansheesがモチーフとなった22年作のEP。歌詞にVtuber関連ものが多く統一感がありますが音楽性はバラバラで曲ごとに違うカラーを持ったシングル集のような感じです。M3の香水はちょっと前に流行った同名のJ-POPをガッツリ引用しながら、それをART-SCHOOL路線で歌うというのにクスッときてしまいます。前作Farewell Nursecallで異彩を放っていたLAUGH SKETCHという曲があって、珍しく打ち込み要素を全面に押し出していたのですが、M5のengage ringはその要素を継承した打ち込みのドラムが印象的な新機軸。シューゲイズやドリームポップまでは行きすぎない、ニューウェーブ風の浮遊感のあるウワものが全編に渡って流れていて、ここと並走するように淡々と繰り返されるギターの質感がすごく空虚な初期New Orderも想起してしまう大名曲。潤羽るしあが2月に突然活動を終了した件について歌っていて、ネタにされがちですが彼女の配信を日々の楽しみにしていた純粋なファン達は突然その場所を失ってしまった悲しみは想像に難くないし、ふにゃっち氏はずっとそういう喪失感や悲しみについて歌ってきたと思います。この切実さを出せるのは彼の今までの経験とか色々重ねて出力されてるんじゃないかと思ってしまうし、それをリトルガールハイエースとして歌うことにとてもグッときてしまいます。ライブだとgirl ghostでも活動しているサポートメンバーのシベリア氏のアレンジでかなりタイトなドラムとなり、音の硬さも相まってカッチリとしたグルーヴを保ちながらスイッチを切り替えていくように大きく展開する新しいアンセムへと変貌しています。ぺこーらに、告白しようと思ってる。はSyrup16gの落堕風で歌詞は完全にネットミームの引用ですが、これもライブでイントロが長尺になり大化けすることに。
4枚目のフルアルバムとなるINTO KIVOTOS。目下最新作で丸一年空いたのもありかなり濃密。正直yakinch fear satanを超える興奮があったまさに最高傑作と呼びたくなる作品で、アルバム単位では2023年最も聞いた作品になります。こちらに関しては単発記事を書いているので是非。これからこのバンドを聞くという方にも最初におすすめしたいアルバムです。